陶心陶語

加守田章二 一九七九 壷のこと

加守田章二 一九七九 壷のこと

 

毎年、春と秋に開催していた個展のたびに、作風を変化させ発表していた陶芸界の鬼才・加守田章二先生。

1969年にそれまでの益子から岩手・遠野へと工房を移し、遠野の土を使った作品制作に取りくんでいた遠野時代。その10年後の1979年になって加守田は東京・東久留米に工房を移しました。

遠野での遠野土による重厚な作風は、この時に劇的に変化を遂げることになった。それは、素材を白い磁土に変更したことによってもたらされた色彩の変化が大きい。

色釉や色絵・赤絵を使えるようになり、彩色表現が自由になり、より明るく美しい、軽快感あふれるいわば、都会的な作風へとかわってゆくのです。

この作品は、白く細かい磁土を用い、黒釉で地を作りストライプ状の文様には紺・緑・透明の色釉を施し、上絵によって朱の色を付けています。文様は加守田の晩年の代表的なもので、私どもではこの文様を指して「光線」と称しておりますが、黒の地に明快な色彩が印象的で、エッジを効かせたシンプルな造形とも良く似合っています。

新天地・東京において作られた加守田章二の洗練されたセンスが光る一品。

36年前の作品ですが、現在も色褪せない美しい光線を放っているようです。

 

 


加守田章二 一九七九 壷 
h27.2×w16.1×d11.9cm 1979年 共箱

 

 

 

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