陶心陶語

鯉江良二の存在

 

 

林屋晴三氏は「鯉江さんは、存在そのものに価値があるのです」と言われました。
この画像は、数年前のワークショップでの様子です。林屋氏をはじめとする多くの観客を前にして、自由自在に操る轆轤の秘伝を公開する鯉江良二先生。
このようにこうすればこういうものができるんだ。私ができるんだから誰でもできるよ。というスタンスでもって、若い陶芸家に話しかけている。
実際には、鯉江良二のようにはできやしない。50㎝超の柔らかくも凛と屹立した筒を一瞬のように轆轤で形作ることなど至難のわざである。
大仕掛けのイギリス製の蹴り轆轤を使えば良いものができると云われても、日本製電動轆轤に慣れている人が、その轆轤自体を使いこなせるはずがない。
私が感じる鯉江良二の凄いところは、どのようなシチュエーションであっても、常に自分は一番下に居ると思っておられること。それが鯉江の存在の意味だと思います。

 

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