陶心陶語

辻 清明 信楽自然釉花生のこと

辻 清明 信楽自然釉花生のこと

「山口諭助氏(哲学者)の「明る寂び(あかるさび)」という言葉が、私の心を捕らえた。宿命を素直に受け入れ、自然と合一する静寂の境地というだけでなく、この言葉には華がある。優美でのびやかで、夜明けの空に似た澄んだ気配がある。私の心の波長とぴったりきたのである。」
陶芸家・辻 清明は、実業家で仏教美術などの古美術愛好家だった父親の影響で、子供の頃から美術品に興味を待ち、小学校四年の時には、野々村仁清作・色絵雌鶏香炉を父にねだり誕生日祝いとして買ってもらったという逸話を残す。東京世田谷に生まれ、父親が蒐集した一級の美術品に囲まれて育ち、古陶磁や鍍金仏をおもちゃ代わりにしていた。10歳ころに父所有の古瀬戸四耳壺に魅せられ、自分でも作ってみたいと陶芸家を志し轆轤を引きはじめ、14歳の時には自宅に辻陶器研究所の看板を掲げ作陶活動を開始し、ほどなく、日本橋高島屋美術部に認められ美術画廊の一隅に作品常設の展示ケースが与えられて、白磁の作品が販売された。驚くべきは、辻の展示ケースが板谷波山の展示ケースのすぐ隣に設置されていたことである。1943年、辻が16歳の時のことであった。
戦後、辻は幅広い分野の美術家と交流を深め、公募展・団体展に積極的に参加。作品は、壺や花器などの施釉陶器から食器・アクセサリ-など多岐にわたり変遷していた。
1955年、世田谷から多摩丘陵・連光寺に移り、新たな工房と登り窯で制作をはじめ、1960年には、信楽土を使った無釉焼き締めの作品を手掛け始めたのである。辻は「明る寂び」という言葉が信楽焼にもっとも相応しいと思ったと言い、おもむくままであった作品展開を信楽の土を使い登り窯で焼成することに方向転換し、辻の「日本人独特の精神に触れる作品の制作」が始まったのである。
この作品は、上質な信楽土を用い、轆轤で筒状に成形したのち、登り窯の中で横倒しの状態で焼成された作品で、高温焼成による変形が見られ、明るい緋色に加え、幾筋も流れたビードロ自然釉の美と貝殻の目跡が印象的な作品である。
寂びた風情を残しながら、そこはかとない華やかさや軽いユーモアを含んでいることを「明る寂び」と提唱した山口諭助氏の言葉に協調し、自らの作陶の指針とした辻 清明が到達した境地を見せる一品である。

 

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