陶心陶語

加守田章二 彩色盃のこと

 

1970年代初頭。
大阪万博の開催によりカラー写真が広く普及、札幌オリンピック開催が契機となり、お茶の間の「白黒」テレビがカラーTVになっていった。1970年代初頭は、人々の暮らしの日常がモノクロからカラーへ大きく移行した時代でした。
加守田章二が、それまでのモノトーン・無彩色の作品から突然、赤や緑の彩色を使ったカラフルな作品を発表し始めるのは、時代背景も大きく影響していた。
1972年(昭和47年)は、加守田章二が39歳の時。
この頃の加守田は、彩色・図案・形状が多様に変遷しており、作品はさまざまに変化して創意・創作意欲がもっとも充実していた時期にあたります。
翌年後半に赤や緑の彩色が消え失せるまでの1971年から73年前半までの加守田の900日は、まさにカラーの時代でした。
この作品は、1972年に岩手・遠野の工房で制作された個展では未発表の作品で、今まで知られていなかった作品です。
当時、工房を構えていた岩手県遠野に産する粗い胎土を用い、赤・緑・黒の三色の彩色で不定形な斜文様を施し、白い点々文様が印象的である。形状は、高台部より全体的に丸みをおびて口辺内側にわずかに入り込む、加守田がもっとも好んだ姿をしています。
特筆すべきは、この作品のサイズが格別に大きいことにあり、加守田の酒器のなかでは最大級を誇ります。
加守田のこの時代の酒器の希少性については加守田ファンだけが知る事実。
この新発見の盃の存在は、誰も知らなかったとは言い過ぎかもしれませんが、コレクター垂涎の一品であることに違いはありません。
特別な人が特別な時に特別な人と使う特別な一品です。

 

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