陶心陶語

辻 晋堂先生のこと


辻 晋堂 : 陶彫「西行」 1975年制作

 

彫刻家・辻 晉堂-その活動は現代陶芸に大きな影響を与えました-

1910(明治43)年に鳥取県伯耆町で生まれた辻晉堂は21歳の時、油絵を学ぶため上京。独立美術研究所で絵画を学びながら独学で彫刻を始めた。立体造形の才能を発揮し、23歳の時、日本美術院展に出品した写実を極めた木彫作品が入選。25歳で異例の速さで院友に推挙され、木彫・彫刻家として確固たる地位を築いて活動を続け、その後、日本美術院が平櫛田中の古稀記念の肖像制作を企画した際には、30歳の若い辻晉堂にその制作を一任されるほどに実力もつけていた。

戦後、1949(昭和24)年に京都市立美術大学の教授に就任した以降、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、作品が劇的に変化した。1953年に盟友となる八木一夫と出会い、八木から陶芸手法を得て、さらに京都美大が京都東山の蛇ヶ谷という京焼・清水焼を生産する窯業地に隣接していたことで、陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」の作風に転換した。

八木一夫はそれまで、轆轤で作った壺や花入などの規定の器物に、海外の著名な画家が描く絵画をデザインにした絵付けを施す作風だったものが、辻と出会ったことにより、手びねりを多用する抽象造形の辻スタイルの作風に激変し、八木の初期の代表作といわれる「ザムザ氏の散歩」(1954年)が生まれたのであった。

のちに辻と八木は、同じ京都美大の教授仲間として、お互いを触発する仲となり、彫刻家と陶芸家のその違う立ち位置のなかで同じ方向を向き、8歳上の辻に八木は敬意を表しつつ、切磋琢磨し続けていった。

陶芸による造形作家集団の走泥社を率いた八木一夫は、辻晉堂スタイル「手びねりによる抽象造形」を推し進め、結果的に、戦後の現代陶芸に新しいジャンルを作り、革新をもたらすことになりました。現在でもその系譜は連綿と続き、未来へと引き継がれてゆくことになるでしょう。

 

-旅の途中、富士を眺めて一服-

この陶彫「西行」は、辻晉堂66歳の作品で、この年、辻は京都美大を定年退官しています。富士見西行を題材にした作品は数少なく、28歳で得度出家した自らを西行法師の生きざまと重ね合わせ、作品にしたかのように思われます。

 

 

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