陶心陶語

河井寛次郎 辰砂草繪碗のこと

 

河井寛次郎は、31歳の時に東京で個展を開き、陶芸家としデビューを果たしました。
その初個展での作品の完成度の高さから、「突如、彗星が現われた」と絶賛され報道されたことで、河井の名は広く知られ、以降は完売作家として活躍した河井でしたが、5年後には創作活動を中断。制作は限定的になり、個展も中止した。柳宗悦の民藝運動に携わったことが原因で、陶芸家としては、結果的に35歳から40代前半までの間は作陶は続けてはいましたが、河井のスランプ時代といえる時期になりました。昭和10(1935)年に、民藝運動の目標の一つであった美術館建設の目途がたったことで、河井の創作活動が再開、柳に感化された李朝様式の器形を持ちながらも、河井の斬新な感性を盛り込んだ作品を精力的に作り始めました。

この作品は、寛次郎が再び轆轤の前に座り、新たな志を持ち制作した作品です。形状は李朝茶碗の典型を示していますが、意匠や色彩は寛次郎のその後を彷彿とさせるものが見て取れます。45歳の寛次郎の心の中にある炎が再び燃え上がった瞬間を閉じ込めた一品です。

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