陶心陶語

北大路魯山人 天上大風のこと


北大路魯山人 書「天上大風」部分

 

「良寛禅師は実に畏るべき美字を書きました。良寛こそうまい字であって、美しい字で良い字だと思います。もの柔らかで、温和静寂で、有難いまでにこなれ切ったものであるが、それでも時々途方もなく圭角の現れたものがあり、表面平穏の中に潜在する圭角の一端を発見して、私どもは、はっと思わされることさえある」
陶芸をはじめ書や絵画などに優れた才能を発揮した希代の天才芸術家・北大路魯山人は、幼少より習字で顕彰を得るなどで書の才能を自覚し、20歳の頃に、書家になるために上京。
その後10数年の間、書道に関係する仕事に就くが結果的に書家としての道を歩むことなく挫折した。
放浪を経たのち、料亭経営者そして陶芸家として大成してゆくのである。
「どんな書でも美がなくてはいけない。美がなくては能書とはいわれない。いかに立派に書いても、いかに達筆に書いても、その人工的技術の外に自然美というような美が無くちゃいかぬ」
これは、書に対しての言葉であるが、魯山人が残した芸術のすべてにおいて共通する魯山人の美意識を象徴するものである。若年から研鑽し尽くした書は、魯山人の美の根幹をなすものであった。
幕末・明治から大正に流行した中国趣向が、昭和になり日本趣向に代わる頃、良寛の書が世間で注目されはじめ、それまで王義之などの中国古典に傾注していた魯山人は、一気に良寛に傾倒した。
良寛詩を壼に書きつける作品を制作するなど、古陶磁倣作が中心だった陶芸が変化を遂げる契機にもなったのである。
この作品は、凧あげで遊ぶ子供たちにせがまれ、良寛が即興的に凧に書いたと伝わる書「天上大風」を魯山人が臨書した作品である。
良寛と出会ったことで生まれた新しい美意識をかみしめつつ畏敬の念をもち墨書した一品である。

 

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