陶心陶語

河井寛次郎 柿釉切子杯のこと


河井寛次郎 柿釉切子杯 w5.7×h2.3㎝ 共箱 1926年作

 

河井寛次郎の柿釉を使った小さな酒盃で、現存数の少ないとても貴重な作品。
昭和時代の初頭、柳宗悦や学生時代からの盟友濱田庄司らと藝術運動「民藝」を始めた河井寛次郎は、日本や中国、イギリス・韓国のそれぞれの国の特にローカルな特性を持つヤキモノに着目し、土着民衆の普段の生活に欠かせない陶磁器をハイカラで上質な生活に相応しい陶磁器にリノベーションすることに情熱を傾けていました。例えば、日本の地方の温泉地周辺にある小さな窯業地のもの、イギリスのスリップウエア、李氏朝鮮時代の李朝陶、中国宋時代の民窯等、宮廷や貴族のために特別に作られたものではなく、民衆・大衆が使うために民衆が作った頑丈で使いやすい生活必需品に河井寛次郎は着目していたのです。

ひと昔前までどこのご家庭にも有り、落としても割れないような丸みを帯びた肉厚の作りの茶褐色の器体に黒釉の流し模様のある甕や茶褐色をした摺鉢は、現在は各地で作られていますがオリジナルは島根県の石見焼の特産品で、あの特徴的な茶褐色の釉薬は通称・柿釉と呼ばれ、その柿釉は宍道湖畔の宍道町来待で産出される来待石の石粉を原料に釉薬として使用したものです。

この河井の酒盃は、宍道湖中海畔の島根県安来市に生まれた河井寛次郎のいわば地元で作られている特産陶器に着目し制作された作品です。薄手に作られた酒盃の腰部を鋭い箆目使いでシャープに切り落として、まるでカットグラス(切子)のようなエッジを得ています。
土間や床、物置など日の当たらない所に無造作に置かれる運命のモノが、河井寛次郎の手によって、酒席の器にリノベーションされ、ハイカラで上質な生活に相応しいモノに変貌を遂げました。

この酒盃は、河井寛次郎が藝術運動の熱意を作品に凝縮し、渾身の力で世に問うた小さな一品です。

 

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