陶心陶語

新発見の石黒宗麿「木の葉天目茶碗」

 

石黒宗麿没後50年の今年、石黒宗麿の旧工房から「木の葉天目茶碗」が新発見されました。
その茶碗は、石黒が使用していた登り窯の内部に保管されていたサヤと呼ばれる焼成用ケース(画像:窯の右側に放置されているものと同じもの)に入った状態で、高台にはハマと呼ばれる溶着を防ぐ粘土塊が付いたまま見つかりました。このことから、窯出しされていない手つかずの状態で50年以上を経過していたと判断されました。作者である石黒先生さえも見ていない、誰も見たことがなかった木の葉天目茶碗がまるでタイムスリップしたかのように、没後50年の節目の年に窯出しされたということで、お披露目の展覧会をすることになりました。
詳しくは、京都精華大学のウエブサイト 
http://www.kyoto-seika.ac.jp/…/info/topics/2018/11/22/51063/
http://www.kyoto-seika.ac.jp/…/…/2018/1214ishiguro/index.php 
をご覧ください。
画像は、石黒宗麿が生前使用していた登り窯です。京式登り窯と呼ばれる形式の特徴があるもので、四室の焼成室があります。木の葉天目茶碗は、この登り窯の2番目の焼成室に仕舞われていたサヤの中にありました。なぜ、そこにあったのかは謎めきますが、当時の窯出しの際のケアレスミスによって出し忘れていたと私は想像し考えています。
現在は測量調査が進み全体像が見えていますが、調査開始当初はこのように登り窯の手前部分・胴木間(どうぎま)と呼ばれる燃焼室部分の半分以上が土砂に埋まっていました。
どうして埋まっているかというと、窯のすぐ横に古くからの沢があり、沢の流れが石黒没後のある時大雨により鉄砲水となり、大量の土砂が窯場周辺に流れ込んだためなのです。
この窯の周辺の土砂の中から、今まで知られていなかった石黒宗麿の制作に関する事実も発見されています。
今回の一連の発見について思うことは、石黒宗麿の現代性です。常に新しいものごとを考え、新しいものごとに挑戦してゆく創作創造の姿がリアルに感じられました。50年以上前に、今よりも斬新で奇抜な思考・手段をもって、新しきを求めていた事実を再認識し、石黒宗麿その人と作品に今まで以上に興味が湧いてまいりました。

 

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