陶心陶語

北大路魯山人 信楽灰被ツボ花入のこと

 

「私は藝美革新を叫んでおりますくらいですから伝統に重きをおきながら、伝統に無きものをやっております」
1955(昭和30)年に開いた個展の案内状に北大路魯山人自らがこのように書き記したまさにその頃、この壺を熱心に作っていました。
一見すると「伝統に重きを置く」どころか、古典そのまま、中世の信楽壺の迫力や品格そのものであると見えてしまい、「伝統に無きものを作っている」という魯山人が掲げた看板に偽りありと思えてしまいます。
古来、壺は神格化され、壺の中は仙境とされ、心の中とも言われ、壺に関する世界観や宇宙観まで語られていました。
その神たる壺を作る作者は、時間をかけゆっくりと祈りを込めながら輪積みし、轆轤に向かっては、精神を集中させ全身全霊をこめて作るものだとされていました。
美の悪魔たる北大路魯山人は、衆目を集めることを意図し、この壺にとあるトリックをしかけました。それは、自身が所蔵する古信楽壺を原型にし、それを型抜きしてこの作品を作るというものでした。
その制作には、ひとかけらの精神論はなく、美しいもので身の周りを飾りたいと願った魯山人の美へ執着のみが存在したのです。
この壺は、魯山人藝術の究極を示している一品です。

 

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