陶心陶語

桶谷 寧 曜変天目茶碗のこと

 

明治時代にドイツなどから導入された西洋の窯業技術によって日本の陶芸は大きく変わり、それまで草木の灰や土砂など天然由来の原料を主に使っていたものが、金属や金属化合物など化学を利用したものにとって代わり、窯の構造や焼成方法なども西洋技術が取り入れられてゆきました。
明治時代以降、日本の伝統は西洋由来のものになり、戦後になって、電気やガスを熱源とする窯が現れ、さらに進化を遂げ、現在の日本の陶芸技術になっています。
明治~昭和にかけて活躍した陶芸家の多くは、西洋由来の技術を積極的に取り入れゆきました。板谷波山はその代表的な作家で、辰砂や青瓷、天目などの中国古陶磁を西洋技術で再現することに成功し名作を残しています。
西洋の技術は、いつのまにか日本の伝統技術になり、現在の陶芸家たちは、その新しい伝統技術で作品を作り続けています。
曜変天目の第一人者として高名な桶谷 寧は、1968年に京都の陶家に生まれました。大学を出て、その後に陶工訓練校などで陶芸技術を学んだあと、家業に従事するようになり、その傍らで陶芸家の夢を持ちつつ、毎晩、図録に載っている曜変天目の再現を目指すようになりました。天性の才能からかまもなく、曜変天目の再現に成功します。当時の桶谷は、西洋由来の伝統釉薬の調合に時間をさき、さまざまな発色をする釉薬を研究することで、曜変天目の星文様や色の再現に成功したのです。
30歳を前にしたある時、国宝・曜変天目茶碗の実物を展覧会で見て、それまで図録を見ながら再現していた自作とまったく違うことがわかり愕然となった。
それまで、当たり前だと思っていた釉薬の調合研究に疑問を持つようになり、それまでのものはすべて捨てさり、一から曜変天目に取り組むことになった。
そして、桶谷が導き出した答えが、国宝・曜変天目茶碗と同じ作り方で、再現するということだった。
日本の陶芸に浸潤した西洋技術と決別したことで見えてきた曜変天目。
西洋技術と決別し、東洋の作品を作った。明治時代から続く陶家に生まれ、近代日本の窯業技術を専門的に学んだ桶谷にとっては、とても険しい決断だったことだろう。
桶谷 寧:曜変天目茶碗 (2017年個展出品作品)

 

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