陶心陶語

河井寛次郎 青瓷鱔血文繍花六方花瓶のこと

 

「両手に土を握った時には、美を対象として、よりよきものを造ってみたいと思います。無心に何の意図もなく、自然に私の頭の中にあるものが、その通りに手に働いてその形が生まれてこそ、そのものに真の力が表われるべきだと思います。」
日本の近代陶芸の礎を築き、特異な個性を輝かせた偉才・河井寛次郎は、少年期にはすでに陶芸家になることを決めていたといいます。
窯業を学ぶため、東京工業大学に入り、卒業後は当時国内唯一の窯業研究機関であった京都市陶磁器試験場に就職。研究技師として釉薬や焼成の研究に携わり、その間、陶芸家を志すのに充分な知識・経験そして自信を深めていきました。
25歳ころから公募展などに出品するようになり、30歳で初めての個展「第1回創作陶磁展」を日本橋・高島屋で開催すると、「陶界の一角に突如、彗星が出現した」と絶賛され美術業界を賑わせ、河井寛次郎の名は一夜にして広く知られるようになった。
その時に発表された作品の多くは、青瓷・辰砂・天目・三彩などの中国古陶磁を規範とした作品群であり、大学時代から技師時代へと日夜研究に勤しんだ成果を結実させた作品でした。河井は、柳宗悦が提唱した民藝運動に参画するまで、中国の唐~明時代の陶磁器に肉迫する名品を残しました。
この作品は、河井が「青瓷鱔血」と称する青瓷釉と辰砂釉を巧みに組み合わせた、高い技術に裏付けられた他の追随を許さぬ河井の独壇場とも頂点ともいえる作風を現しています。
京都国立近代美術館に収蔵されている河井の名品として名高い「白瓷繍花六方花瓶」と同時期に作られたもので、六角形の筒に大小六匹の龍と牡丹唐草のレリーフで装飾され、青瓷と辰砂の色彩の妙も見事で格調高いものになっています。
河井寛次郎が「より良きものを造りたい」と願い、美の本質と理想の力を具現化した一品です。

 

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