陶心陶語

鯉江良二 白黒掛分茶碗のこと

 

愛知県北東部の岐阜県と静岡県との県境に近いエリアにある山深い設楽町。住所でいう愛知県北設楽郡設楽町は、まっすぐ南下すれば、浜名湖。逆に北進すれば、乗鞍岳・立山がある日本列島のちょうど真ん中・日本のへそに位置するところ。
その設楽町に鯉江良二が移ったのが1980年代の終わりころのことであった。
それまで、愛知県の南端部・知多半島の常滑に製作拠点を置いていた鯉江が、愛知県瀬戸市にある愛知県立芸術大学の助教授に就任したことで、通勤の利便性を図り拠点を移すことになりました。
その設楽町の鯉江の拠点:工房は、鯉江の旧友である金子潤氏が所有する別荘兼工房であり、当時金子はアメリカ・オマハに拠点を置き活動していたことから、空き家になっていたものを鯉江が借り受けることになった。
その設楽町は山奥でありながら、高速道路へのアクセスが良く、クルマで移動するには利便性の高いところで、大学に通うのは無論のこと名古屋・東京・関西・北陸に出向くのにとても好都合な場所である。
鯉江良二が50歳をすぎて、陶芸家・アーティストとしてもっとも充実する時期を過ごした愛知県設楽町の拠点では、数々の名作が生まれていった。
その後、岐阜県上矢作町に拠点を移すまでの数年間に、茶碗・花器・うつわ・オブジェなどの陶芸作品に限らず、金属や木、鉄・アルミ・漆・ガラスなどの異素材を使った作品も多く残すことになりました。また、書や絵画・ドローイングなども数多く残し、鯉江の制作の多様性が広く一般に知られることになる時期でもありました。
この時代の鯉江は、原料である土に向き合い、「土探し」と称し、日本のみならず世界中を土を探すために歩き回り、良い土を見つけては作陶を試みていました。
この作品は1992年の作品で、工房を構えていた設楽町の山で採った山土を原料にし、設楽の自然林の焼却灰を掛けた作品です。
特徴的な白黒の色分けがこの作品のダイナミズムを演出し、小石やジャリが多く混入したこの作品は、所謂茶道具としては破天荒といえる。
近代茶道の隆盛が足踏みする2000年代以降、茶道具としての茶碗の意味に変化を求められるなか、この破天荒な茶碗の存在は刺激的です。

 

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