陶心陶語

岡部嶺男 ぐい呑のこと

 

岡部嶺男 ぐい呑のこと

 

 

岡部嶺男 (1919~1990) 窯変米色瓷盃・絵志野ぐい呑

(L)窯変米色瓷盃 1977年 w8.2×h5.8㎝ 共箱・岡部辰子代筆
(R)絵志野ぐい呑 1966年 w7.9×h5.8㎝ 共箱

 

 

 

「私の場合、材質が造形を生み出している。土は、火との関連に於いてはじめて意味をもってくる。土・造形・釉という素材が火という要素との結びつきによって具体的な陶器たり得る。私にとっての土や釉は、音楽に於ける音のようなもので、窯を通りこした具体的な材質という形で意識している。」

平安時代から現在まで続く、陶器の一大生産地である愛知県瀬戸市窯神山に生まれた岡部嶺男先生は、少年期から陶芸技術に長け、復員後の27歳頃から陶芸家としての活動を開始します。
高校時代、研究試作していた瀬戸の伝統的な陶器である古瀬戸灰釉・志野・織部・黄瀬戸から始めた作陶活動は、その後李氏朝鮮時代や南宋時代の陶器にまで展開し、天才的な技術や先鋭的感性を活かした作風は、古典的なものから前衛的なものまで多岐にわたったのである。

「旧作から近作まで並べた展観を見た人の中に、旧作と近作との関連に戸惑いを感じたかたがあったようだ。貴族的なものと土俗的なもの、ラフなものとシャープなもの、といろいろと表現されるだろう。私自身が仕事の過程で、その内容を言葉で一番近いものを探せば、音楽の短調と長調、そして無調。若い頃の調性的な仕事が、年齢とともに無調的な方向を向いてきているように思う。」

岡部嶺男先生が43歳の時に試作を始めた青瓷は、7年後には「青瓷大砧」が皇居宮殿の調度品に採用されるなど各方面で評価を得て陶芸家としても高い名声を博した。
その後、青瓷は岡部嶺男の代名詞とされる窯変米色瓷へと進化し、嶺男陶芸の最終章を飾ったのである。

この画像の作品は、いずれも岡部嶺男のぐい呑。
絵志野は瀬戸の伝統的陶器を、窯変米色瓷は中国南宋官窯陶瓷を基礎にしたものである。
同じ作家が制作したとは思えないような対照的な2点であるが、岡部嶺男の陶芸哲学を具現化しており興味深い。

温かく柔らかな人肌のような一品、そして硬質な貴石を思わせる一品。
いずれも岡部嶺男が音楽を作るように纏めあげた作品である。

 

 


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