本日の一品

Tokuro Kato

加藤唐九郎 黒ぐい呑み

h3.9×w5.4cm 1964年 共箱

加藤唐九郎 黒ぐい呑み



加藤唐九郎のぐい呑は、稀少なゆえにコレクター垂涎の一品として、永くその地位に君臨している。

1980年前後に東京や名古屋のデパートで個展を開催した際に、顧客からの要望もあったためか、数十個単位で制作していたようである。
しかし、現在ではその時代に制作されたある程度数量が存在する志野ぐい呑でさえ、数年に一度、美術市場に現れるといった程度で、未だに稀少性を保っており、高値での取引は続いているのが現況といったところである。

この作品は、雅号を「一無斎」として制作活動を始めた頃に制作したぐい呑です。
瀬戸の黒釉を掛け、同じく瀬戸産の上質で細かい白土を用いられている。

茶碗をミニチュアにしたような半筒形のぐい呑で、轆轤目を強調した造形も唐九郎らしさを感じる愛すべき姿をしている。

全体的に黒釉を掛けているが、黒織部の意匠を狙ったため偶然なのか意図的なのか、白く残った間取りが、たなびく雲の向こうに見える富士山のようである。

高台は伝統の碁笥底高台に仕立てられ、一削りでスパッと削られた高台は美しく見事としかいえない。

高台に「一ム才」と箆刻みでサインが入れられています。
「一ム才」と彫り込まれているぐい呑は、ほとんど知られてなく、レアものとして所有する楽しみがあります。


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【 作品番号 : 579 ]


加藤唐九郎 | Kato Tokuro

1898 愛知県瀬戸市に生まれる
1914 製陶業を始める
1933 随筆「黄瀬戸」を刊行
1934 「陶器大辞典」を刊行
1935 名古屋市守山区翠松園に移る
1950 戦後初の個展「瀬戸黒茶わん展」開催(銀座 黒田陶苑)
1952 無形文化財有資格者に認定される
1953 「新作陶芸展]」を開催し、初めて黄瀬戸を発表 (銀座 黒田陶苑)
1954 桃里会に参加
1955 荒川豊蔵、石黒宗麿らと「日本工芸会」を結成
1960 永仁の壷事件起こる
1961 加藤一無斎を名乗る
1964 「東京オリンピック記念・加藤唐九郎陶芸展」を開催
1969 志野茶碗「鬼ケ島」完成
1972 原色陶器大辞典を刊行
1973 個展 「野の唐人‐唐九郎展」を開催
1982 最後の個展 「加藤唐九郎の世界展」を開催
1985 逝去(享年87歳)


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