Rosanjin Kitaoji
北大路魯山人 志野グイノミ 五
h5.9×w6.1cm(最大) 1955年頃 共箱 Sold
北大路魯山人が、作陶の初期から最晩年期までを通して制作を続けていた志野焼は、当初の僅かに緋色が現れた乳白色のものから次第に赤味を増し、最終的には赤色と白色のコントラストが美しい作品へと劇的ともいえるほどの変貌を遂げてゆきました。
桃山時代に起源をもつ志野焼は、江戸時代以降の肥前地方で磁器の大量生産が始まるまで、日本にはそれまでに無かった「白いやきもの」として、大陸から舶来される稀少で高価な中国磁器の代用としても珍重され後世には、日本オリジナルの今焼・国焼きの代表格に据えられることになりました。
北大路魯山人は、志野に取りくみ始めた頃には、一般に志野焼に使用される白いモグサ土を使って制作していた時期もありましたが、料理を盛り付ける為の実用的な器には不都合が多い性質の土であることから、肌理が細かく上質な信楽産の赤土を用いるようになります。
そのこともあって、魯山人が作る志野焼には、徐々に赤味がついてゆき、その偶然を魯山人は見逃すことなく、より強烈で炎が舞うような赤味を求め、研究を重ねて、新しい手法でもって、それまでに無かった「赤志野・紅志野」を作りあげることに成功しました。
この作品「志野グイノミ五」は、魯山人の最晩年期に制作された紅志野のぐい呑です。この時期の志野ぐい呑は、高台が糸底のベタ高台が多いことで知られていますが、この作品は、しっかりとした高台が付けられており、さらに絵柄・形状・焼き上がりがすべて違うものを一つの箱に収めており、魯山人のその当時のこの作品への思い入れが伝わるものになっております。
さらに特筆すべきは、その作品のサイズで、どれも大きく大振りに作られ、他のぐい呑には見られない迫力を感じます。五つの個性がそれぞれに籠められて、五つ揃ってはじめて、この作品の濃厚で芳醇な魅力が花咲きます。
史上希有な一品をぜひお試しください。
北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin
1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)
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