-銀彩・緋襷-小山厚子 個展

 

備前焼作家の家に生れ、幼い頃より備前焼に親しんだ。学生時代には、絵描きを志したこともあった小山厚子さん。備前焼の土と窯を使い、新しいやきものを創りだそうとしています。近年はその異色ぶりが評判を呼び、人気があります。

今回は、窯出ししたばかりの備前登り窯の作品を中心に、山土に灰釉を施した作品、銀彩や赤絵・色絵などのうつわを中心にした展覧会です。

 

 

備前山土灰釉茶碗

 

 

備前ヒダスキ壷

 

 

銀彩つわぶき皿

 


 

 

小山厚子 こやまあつこ

1979 岡山県備前市生れ
      陶芸家・小山末廣の次女
2000 父、小山末廣に師事
2003 初窯
2005 初個展[HAPPY](銀座 黒田陶苑)
          以降、毎年開催

鯉江良二 灰釉茶碗

 

鯉江良二先生の半筒の茶碗です。渋紙手のような淡茶色の釉薬が掛けられており、茶碗の外側や腰部に印象的に指跡がつけられています。形状は、低くかまえた腰をグッと張った鯉江らしい茶碗です。

 


鯉江良二 | Ryoji Koie

1938
愛知県常滑市に生まれる
1957
愛知県立常滑窯業高校卒業
1962
常滑市立陶芸研究所入所
現代日本陶芸展入選
1970
大阪万博の大型陶製ベンチ制作参加
1971
現代の陶芸展出品(東京・京都国立近代美術館)
1972
ファエンツァ国際陶芸展出品(イタリア)
国際名誉大賞受賞(バロリス国際陶芸ビエンナレ)
1973
京都にて初個展(造形作品とインスタレーション展示)
1978
現代の工芸展招待出品(京都国立近代美術館)
1981
CLAYWORK-やきものから造形へ展招待出品
1982
伝統と前衛展招待出品(サントリー美術館)
1986
日本の前衛展出品(ポンピドウセンター/パリ)
1987
鯉江良二茶碗展(銀座 黒田陶苑) 以降毎年個展開催
60年代の工芸展出品(東京国立近代美術館)
1992
愛知県立芸術大学教授就任
1993
日本陶磁協会賞受賞
2001
織部賞受賞(岐阜県)
2002
愛知県常滑市天竺に穴窯を設営
2004
愛知県立芸術大学教授退官
2008
日本陶磁協会賞金賞受賞
2013
手術後遺症により声を失う
2020
逝去(享年82歳)

加守田章二 一九七四 壷

加守田章二先生が陶の造形表現の極限を追求した作品。あえて色を使わず、グレー色の土味で硬質な質感をもって、造形の魅力だけで魅せています。キリキリするような緊張感と圧倒的な迫力がございます。

 

加守田章二 かもだしょうじ

1933 大阪府岸和田市に生まれる
1952 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学
1956 京都市立美術大学卒業。茨城日立に移り製陶所に勤務
1959 栃木県益子に移り制作を開始
1962 穴窯での灰釉作品の制作が始まる
1965 灰釉作品が注目される
1966 日本陶磁協会賞を受賞
1967 高村光太郎賞を受賞
1969 岩手県遠野に移り、その後作品は毎年変化していく
1970 [曲線彫文]を発表
1971 [彩色]を発表
1974 [陶板展](銀座 黒田陶苑)以後毎年出品
1979 東京東久留米に工房を移す
1983 逝去(享年49歳)

 

ご内覧希望・在庫・価格など、この作品についてのお問い合わせは、メールでお願いいたします。

加藤唐九郎 絵唐津土瓶

名匠・加藤唐九郎が46歳の時に作った土瓶。

この作品は、瀬戸の赤土に鉄絵具で絵を描いていますが、その焼き上がりの雰囲気から唐九郎はあえて絵唐津としています。そして、やや大振りに仕上げた土瓶の胴部分には大胆に筆勢鋭く三本の野アザミの絵を描いています。手にとってみると意外な軽さを感じます。それは実用を思って軽量に作られた結果によるもので、唐九郎の轆轤技術の確かな凄みを伝えています。口先に僅かな綻びがございますが、アケビのつるで編まれた持ち手など、当時のコンディションを残しています。

この作品は昭和19年に制作焼成された稀少品で、戦時下にもかかわらず変わらぬ唐九郎の旺盛な制作意欲を感じとれます。とはいえ、かなりの限定的な製作であることは目に浮かびます。強い風に翻弄されつつも強く耐えている三本の野アザミの姿は、戦況を表しているようにも見え、当時の唐九郎の陶心に思いを馳せざるをえません。現代陶芸の名作は、時代の証言者でもあるのです。

この作品は制作後に未使用のまま大切に保管され、1982(昭和57)年、加藤唐九郎が84歳の時に開催した「加藤唐九郎の世界展」に出品され、その図録に所載されています。

「加藤唐九郎の世界展」は日本経済新聞社が主催し、東京(伊勢丹)と名古屋(丸栄)の2会場で、新作の茶碗に加え、各時代の代表的な作品を唐九郎が自薦した旧作を一堂に会した展覧会で、結果的に加藤唐九郎の最後の新作個展になりました。

 

加藤唐九郎 かとうとうくろう

1898 愛知県瀬戸市に生まれる
1914 製陶業を始める
1933 随筆「黄瀬戸」を刊行
1934「陶器大辞典」を刊行
1935 名古屋市守山区翠松園に移る
1950 戦後初個展[瀬戸黒茶わん展]開催(銀座 黒田陶苑)
1952 無形文化財有資格者に認定される
1953 [新作陶芸展]開催。初めて黄瀬戸を発表(銀座 黒田陶苑)
1954 桃里会に参加
1955 荒川豊蔵、石黒宗麿らと「日本工芸会」を結成
1960 永仁の壷事件起こる
1961 一無斎の号を得る
1964 [東京オリンピック記念・加藤唐九郎陶芸展]を開催
1969 志野茶碗「鬼ケ島」完成
1972 原色陶器大辞典を刊行
1982 最後の個展[加藤唐九郎の世界展]を開催
1985 逝去(享年87歳)

 

 

石黒宗麿 失透釉杯

 

雅号を「栩庵」(くあん・くぬぎあん)としていた石黒宗麿先生は、斑唐津タイプの作品について「失透釉」とされていました。これはその代表的な作品です。作品高台脇に「栩」の印があり、箱書きにも「栩」と署名されています。共箱で作品に印のあるものは意外にも稀少です。

 

石黒宗麿 いしぐろむねまろ

1893 富山県新湊に生まれる
1918 国宝・曜変天目茶碗を見て感動し、陶芸家を志す
1919 東京で陶芸制作を始める。その後各地に転居を繰り返す
1927 京都東山蛇ヶ谷に移る。盟友となる小山冨士夫を知る
1935 京都洛北八瀬に窯を築く
1937 パリ万国博覧会に出品し銀賞受賞
1941 [石黒宗麿作陶展観](銀座 黒田陶苑)
1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
         荒川豊蔵、加藤唐九郎らと[日本工芸会]を結成
1963 紫綬褒章を受章
1968 逝去(享年75歳)

 

ご内覧希望・在庫・価格など、この作品についてのお問い合わせは、メールでお願いいたします。

北大路魯山人 志埜茶碗

 

魯山人先生の最晩年期の志野は、紅志野・赤志野と呼ばれるほどの燃えるような赤の発色を呈しています。

この茶碗は、魯山人が京都での個展の際に出品した先生ご自慢の作品。紅志野タイプの濃赤の志野の代表的な作品です。白から真っ赤へと変化する志野釉のグラデーションがドラマチックな展開をみせています。茶だまりの渦は、意外なワンポイント。

正面・背面・見込・高台と手の中で鑑賞するうちに、いつのまにか魯山人藝術に惹きこまれてしまいます。

 


北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)