名匠・加藤唐九郎が46歳の時に作った土瓶。
この作品は、瀬戸の赤土に鉄絵具で絵を描いていますが、その焼き上がりの雰囲気から唐九郎はあえて絵唐津としています。そして、やや大振りに仕上げた土瓶の胴部分には大胆に筆勢鋭く三本の野アザミの絵を描いています。手にとってみると意外な軽さを感じます。それは実用を思って軽量に作られた結果によるもので、唐九郎の轆轤技術の確かな凄みを伝えています。口先に僅かな綻びがございますが、アケビのつるで編まれた持ち手など、当時のコンディションを残しています。
この作品は昭和19年に制作焼成された稀少品で、戦時下にもかかわらず変わらぬ唐九郎の旺盛な制作意欲を感じとれます。とはいえ、かなりの限定的な製作であることは目に浮かびます。強い風に翻弄されつつも強く耐えている三本の野アザミの姿は、戦況を表しているようにも見え、当時の唐九郎の陶心に思いを馳せざるをえません。現代陶芸の名作は、時代の証言者でもあるのです。
この作品は制作後に未使用のまま大切に保管され、1982(昭和57)年、加藤唐九郎が84歳の時に開催した「加藤唐九郎の世界展」に出品され、その図録に所載されています。
「加藤唐九郎の世界展」は日本経済新聞社が主催し、東京(伊勢丹)と名古屋(丸栄)の2会場で、新作の茶碗に加え、各時代の代表的な作品を唐九郎が自薦した旧作を一堂に会した展覧会で、結果的に加藤唐九郎の最後の新作個展になりました。
加藤唐九郎 かとうとうくろう
1898 愛知県瀬戸市に生まれる
1914 製陶業を始める
1933 随筆「黄瀬戸」を刊行
1934「陶器大辞典」を刊行
1935 名古屋市守山区翠松園に移る
1950 戦後初個展[瀬戸黒茶わん展]開催(銀座 黒田陶苑)
1952 無形文化財有資格者に認定される
1953 [新作陶芸展]開催。初めて黄瀬戸を発表(銀座 黒田陶苑)
1954 桃里会に参加
1955 荒川豊蔵、石黒宗麿らと「日本工芸会」を結成
1960 永仁の壷事件起こる
1961 一無斎の号を得る
1964 [東京オリンピック記念・加藤唐九郎陶芸展]を開催
1969 志野茶碗「鬼ケ島」完成
1972 原色陶器大辞典を刊行
1982 最後の個展[加藤唐九郎の世界展]を開催
1985 逝去(享年87歳)