GSIX

 

数日後の2017年4月20日に、黒田陶苑のすぐ近くに「GSIX」がオープンいたします。
既にご承知のとおり、松坂屋銀座店跡地に完成した大型複合商業施設です。
2013年6月30日に閉店した老舗百貨店・松坂屋。
松坂屋さんは、私の少年時代の遊び場であって、屋上遊園地やウインドウで好きなものを選んで切符(チケットでなく厚紙の切符でした)を買って食事する「お好み食堂」で、お子様ランチを食べていた場所でございました。
21世紀になっても、銀座であっても、独特のレトロ感を醸し出していた松坂屋さん。最終章では、外資系テナントに浸食されてしまっていましたが、屋上遊園・食堂・地下食品街は旧態を保っていて私の休息場所になっていました。
松坂屋閉店の2013年6月下旬、私はフランス・ギメ美術館で行われた北大路魯山人の過去最大級の回顧展に携わっていた関係でパリに居て松坂屋の最終日には立ち会えなっかったことを思い出します。
当初、2016年秋開業予定で説明されていた施設ですが、およそ半年の遅れでもって、いよいよ4月20日オープン。
内覧会でお邪魔してまいりましたが、想像以上の施設になっていました。
先にオープンした5丁目の大型複合商業施設・東急プラザが、銀座初・新規展開・新業態を売り出しているのに対し、このたびの6丁目のGSIXは、世界ブランド旗艦店・老舗・大人気ブランドを押し出していることに私は注目いたしました。
空気のきれいな屋上庭園では、銀座はやはり銀座であって、そして銀座は世界の未来なのではと思ってしまいました。
詳しいことは申せませんが、ほんとに素晴らしい銀座のランドマークになりました。
ぜひ皆様、銀座にお越しください。

 



下の画像は、
2013年6月30日の閉店を前にSALEの垂れ幕が下がる旧・松坂屋銀座店。


[ 2013年4月23日撮影 ]

 

藤ノ木陽太郎 個展

 

このたび黒田陶苑では、唐津・土平窯の二代目・藤ノ木陽太郎さんの個展を開催いたします。

1981年生まれの藤ノ木さんは、伝統的な唐津焼をライフワークとしながら、彫刻を学んだ経験から、陶芸と彫刻塑像の融合を目指す作風を展開している陶芸家です。
ご高覧くださいますようご案内申し上げます。


 

 

 
二彩唐津花入


 

藤ノ木陽太郎 Fujinoki Yohtaro

1981 佐賀県唐津市生まれ
2007 多摩美術大学 油画専攻 卒業
2008 父・藤ノ木土平に師事
2012 作品の発表をはじめる
2015 第二回個展(銀座 黒田陶苑)

 

 

 


 

 

facebook

Twitter

Instagram

www.kurodatouen.com




今井完眞 個展




このたび黒田陶苑では、今井完眞さんの新作個展を開催いたします。

今井完眞は、陶芸のスーパーリアリズムの世界を切り拓く、美術界でも注目されている陶芸家です。
第3回となる今回の展覧会では、大学時代から手掛けている「海洋生物」特に、ワタリガニをモチーフにした作品を展開いたします。
今にも動きだしそうな、匂いまでも感じさせるそのリアリズムは、かつて感じたことのない超絶の感動を実体験することになります。
今までに見たことのないものをご覧いただき、日本陶芸のさらなる可能性をご実感ください。

 

 



ワタリガニ 2種







ワタリガニ


今井完眞  Sadamasa Imai

1989 京都市生まれ
2013 東京藝術大学 美術学部工芸科陶芸講座 卒業
2015  東京藝術大学大学院 美術研究科陶芸専攻 修了
2017 第3回黒田陶苑個展

 


 

 

facebook

Twitter

Instagram

www.kurodatouen.com




イバタカツエ 個展

 


2年前から、作家名を本名の漢字からカタカナにして、活動しています。

以前から知り合いの黒田佳雄さんと昔話しをしていた時に思いついた「色絵」を今回の個展で初めてためしてみました。
「もっと過激に」と黒田氏は言いますが、これが今の私です。              

イバタカツエ








龍の皿






松の皿/白黒水玉湯呑










イバタカツエ    Katsue Ibata

1977 奈良芸術短期大学陶芸科卒業
1985 愛知県常滑で陶芸を始める
    陶芸家・鯉江良二との交流が始まる
1990 浜松に移る
1991 第1回黒田陶苑個展
2015 作家名を井畑勝江からイバタカツエとする

 





 

 

facebook

Twitter

Instagram

www.kurodatouen.com




濱田庄司 柿釉青流扁壺のこと

濱田庄司 柿釉青流扁壺のこと

「(英国生活で感じた文化である)ハイカラをそのまま受け取る気にはなりません。もうそのハイカラよりも一つ先の文化が、そろそろ来なければならない時期のように信じられます。そして当然、その文化には東洋が直接間接主要の役目を果たさなければならない意義があると思う。」
助手としてバーナード・リーチに乞われ渡英した26歳の濱田庄司。イギリスで異文化に触れたことによって、その後の濱田藝術を形成することになりました。
自らも陶芸家として大きく羽ばたく契機になった、柳宗悦による民藝運動を強力に推し進めた濱田庄司。日本の陶芸界の巨人となった濱田は、戦後にはオリジナリティを強調した作風を展開。イギリスで思いを馳せた「ハイカラのその先の文化の創造」を実践するかのように、伝統技法を駆使して装飾的・デザイン性豊かな作風を次々と発表してゆきます。
この作品は、威風堂々とした形状を持ち、赤味のある茶褐色の柿釉の上に、濱田庄司が「青」と呼ぶ緑釉を流し掛けしています。
黒色から茶褐色への釉薬変化に見どころがあり、緑釉の発色も理想的な仕上がりの逸品。
表裏の流し掛け文様の違いもあって装飾性を兼ねそなえたお洒落作品で、身近に飾って楽しめる濱田庄司の一品です。