八枚の絵 展 ‐陶と供に愉しむ‐






祖父や父の仕事を手伝いはじめた1980年代の始めの頃には、銀座の街には、今よりも多くの画廊がありました。個性的な画廊主も数多く存在し、それぞれの感性や審美眼でもって、絵画を取り扱っておられた。私は、絵画も好きでしたので、昼食時などに画廊を巡っては、良い絵を鑑賞し、画廊主との会話を愉しんでいた昔々の記憶がございます。本業ではないことをいいことに、いわゆる「売れる絵」よりも、画家の画力・力量は当然のことながら、質感が豊かであり、個性的で力強い絵を好んで鑑賞しておりました。

今回、時間をかけて集めました絵画の中から、八枚を選び、古陶磁などと組み合わせて展観したく存じます。
また、尊敬し敬愛してやまない陶芸家・藤平 伸先生が最晩年に描かれた絵画も併せて展観いたします。
ぜひ、この機会にご高覧くださいますようご案内申しあげます。

                                               黒田佳雄

 



 松田正平 「かれい」/鈴木 治 鉄絵壷




藤平 伸 「赤い音」/藤平 伸 辰砂梟香合

 


 「出品作家」

山口 薫/曽宮一念/棟方志功/安井曾太郎/北川民次/川喜田半泥子/

河井寛次郎/鈴木 治/川瀬 忍/ピーター・ヴォーコス/藤平 伸/古陶磁

 

 

太田 梁 陶芸展 ‐絶品の酒器‐

このたび黒田陶苑では、太田 梁の酒器を中心にした展覧会をさせていただきます。

赤絵・織部・志野・瀬戸黒・唐津・黄瀬戸など多種の作品を手掛けていた太田さんですが、ぐい呑などの酒器に、特に見るべきものがありました。轆轤技術の冴えや優れた感性を持つことからくる作品の緊張感は、小品になればなるほど際立って現れます。
将来、夭折の天才だったと語られるかは今は誰にも解りませんが、掌の上のこの小さい作品を眺め、使ってみると、その力量の大きさが感じられ、たいせつにしたいという気持ちが込みあがってまいります。

 黄瀬戸瓢形徳利/黄瀬戸盃/瀬戸黒ぐい呑

黄瀬戸酒注

 


 

 

 

太田 梁  おおたりょう

1971 岐阜県瑞浪に生まれる(本名・太田良二)
2000 音楽活動を経て、愛知県瀬戸で陶芸修行を始める
2005 瑞浪の生家に工房「咲良窯」を設置
          織部・志野・黄瀬戸等の食器を中心に制作を始める
2006 東海伝統工芸展に入選する
2010 桃山風黄瀬戸の制作が本格化する
2013 逝去

金重潤平 個展 -備前焼の美-

このたび黒田陶苑では、
備前焼のもっとも美しい表現を目指し、土と炎と対話するように
作品を創り出している金重潤平さんの4回目の個展を
開催いたします。

備前焼の本質的な美を
ぜひ、御高覧くださいますようご案内させていただきます。

 

備前三角耳付花入

 備前長角皿

備前徳利


 

金重潤平 かねしげじゅんぺい

1972年 東京生まれ
      陶芸家・金重晃介の長男・金重陶陽の孫
1994年  早稲田大学卒業
2000年  ロングアイランド大学院彫刻科修了
2013年  黒田陶苑・第1回個展(以降毎年開催)

 

 

河井寛次郎 緑瓷煙草筒 [鐘渓窯]

 

陶芸界に彗星が現れたと云われた河井寛次郎のデビューは、鮮烈でした。
中国古陶磁の、それまでは再現が困難と云われた青瓷・天目などを若き河井寛次郎は、本物に迫るような質感を再現していました。
その時期、寛次郎は作品に「鐘渓窯」の押印、箱書きには「鐘渓窯」と揮毫していました。

この作品は、焼成後に赤土を塗り付け、古格を出すにまでこだわり、中国・唐時代の緑釉を寛次郎の目線で再現したもので、玉取り獅子文様の浮彫・レリーフが施されてあります。
これは、寛次郎が「繍花」(しゅうか)と呼んだ技法で、一般的には「貼花」(ちょうか)と云われ、素地と同じ粘土で作ったレリーフを成形した器体の上に貼り付ける技法です。
この時代に寛次郎は、繍花技法を盛んに取り入れた作品を制作し、寛次郎の初期を象徴するものになっています。

煙草筒とは、煙草入れのことですが、茶の湯で使う火入としてもっとも適しており、火舎を誂えれば香炉として飾れることでしょう。

 

 


 河井寛次郎 かわいかんじろう

1890 島根県安来市に生まれる
1914 東京高等工業学校窯業科卒業
     京都市陶磁器試験場へ入所
1920 京都五条坂で制作活動を開始。工房名称を[鐘渓窯]とする
        中国や韓国の古陶磁を参考にした作品を制作
1922 東京での個展が好評を博し、名声が高まる
1924 スリップウエアに感激し、作風が変化
1926 柳宗悦・濱田庄司らと民芸運動を起こす
     簡素な形にオリジナル図案を施した作品を制作
1937 パリ万国博でグランプリを受賞
1949 創作的な作品の制作が始まる
1966 逝去(享年76歳)


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岡部嶺男 鉄釉茶入

 

 

少年期より家業の製陶業を手伝い、愛知県窯業高等学校入学の頃には既に、轆轤技術・製陶技術は完全にマスターし、技術力においては教師をも凌ぐ腕前を誇っていた岡部嶺男。

窯業高校時代には、中世の古陶磁を独自に研究し、鎌倉時代の古瀬戸や桃山時代の黄瀬戸・織部を再現してみせ、先輩や教師を驚かせていたといいます。後に重要文化財に指定されてしまった「永仁の壺」も、この窯業高校時代に制作されたものです。

この作品は、鉄釉の研究を重ねていた窯業高校時代の初期に制作された作品で、肩に双耳のある姿の良い茶入れで、朝鮮唐津を意識し作品正面の口元から、瀧の流れを表現したような白濁釉が施されています。高台は、土見せの糸底になっています。

この茶入は、新発見の作品で、嶺男の生誕地である愛知県瀬戸の「瀬戸市美術館」において、2015年夏に開催された回顧展「岡部嶺男の陶芸」展で初めて公開されました。

 


 

岡部嶺男 おかべみねお

1919 愛知県瀬戸市に生まれる(加藤唐九郎の長男)
1935 窯業高等学校に通いながら家業に従事し、作陶を始める
1938 東京理科大学に入学
1940 大学を中退し入営。各地を転戦
1945 敗戦後、捕虜となる
1947 復員。愛知県豊田市平戸橋に移る
    作陶を再開する
1954 日展北斗賞を受賞
1962 青瓷を始める
1965 紺綬褒章を受章
1968 愛知県日進に移る
1970 窯変米色瓷が完成
1978 病に倒れ半身不随になる。加藤から岡部に改姓
1989 再起新作展を開催し新作を発表
1990 逝去(享年70歳)
2011 没後20年回顧展[宿命-岡部嶺男展](銀座 黒田陶苑)


Mineo Okabe
1919 Born in Seto, Aichi prefecture.
1937 Graduated from Seto Ceramic High School.
1938 Entered into Tokyo University of Science.
1940 Dropped out from the university. Entered into the army of inner Mongolia.
1947 Demobilization from the army. Settled in Hiradobashi, Aichi. (current Toyota city)
1949 Independently began ceramics in Hiradobashi. Married to Tatsuko.
1955 Received the award of the Japanese Ceramics Society at the first time.
1963 Started focusing on researching celadon. Moved to Nisshin, Aichi.
1965 Succeeded in producing 'Funseiji' (粉青瓷) Powdery Celadon. Received Medal with Dark Blue Ribbon.
1969 Dedication of a set of Celadon vases to Umenoma room of Imperial Household Agency
1970 Succeeded in producing Yohen Beishokuji. (窯変米色瓷)
1978 Hospitalization by cerebral hemorrhage. Changed his sir name from Kato to Okabe.
1989 Exhibition of new works from recovery at Matsuzakaya department store in Nagoya.
1990 Passed away at the age of 70.
2011 Retrospective exhibition [Destiny] at Ginza Kuroda Touen.


 


-迎春- 茶のうつわ展

 

明けましておめでとうございます。
本年も皆々様に愉しんでいただける展覧会ができますよう、努力してまいりたく存じます。
今年最初の展覧会は、新春恒例になりました、お茶道具展「茶のうつわ展」を開催いたします。

中世の古陶から幕末ころの近世の茶碗、近代の陶芸巨匠の珍品まで、喫茶を愉しむだけでなく、鑑賞にも堪えうる品々も取り揃え展示いたします。

2階・3階の同時開催で、2階の展示は古陶磁を中心に、3階は近代陶芸巨匠の作品の展示になります。

お忙しい日々とは存じますが、一刻、銀座の街へお出ましくださいますようご案内申し上げます。

 

堀の手 黄釉茶碗  [室町時代]

室町時代に美濃で作られた茶碗です。
昭和初期に窯址から発掘されたもので、欠損部分を
青海波模様の蒔絵で丁寧に修繕されています。

 

濱田庄司  琉球窯藍差赤絵茶碗

濱田庄司先生の最晩年期の作品で、沖縄で制作された一品です。
濱田の七十七歳の喜寿記念に刊行された「濱田庄司七十七碗譜」に
カラー図版で掲載されています。


 

 

-迎春- 茶のうつわ展

 

明けましておめでとうございます。
本年も皆々様に愉しんでいただける展覧会ができますよう、努力してまいりたく存じます。
今年最初の展覧会は、新春恒例になりました、お茶道具展「茶のうつわ展」を開催いたします。

中世の古陶から幕末ころの近世の茶碗、近代の陶芸巨匠の珍品まで、喫茶を愉しむだけでなく、鑑賞にも堪えうる品々も取り揃え展示いたします。

2階・3階の同時開催で、2階の展示は古陶磁を中心に、3階は近代陶芸巨匠の作品の展示になります。

お忙しい日々とは存じますが、一刻、銀座の街へお出ましくださいますようご案内申し上げます。

 

堀の手 黄釉茶碗  [室町時代]

室町時代に美濃で作られた茶碗です。
昭和初期に窯址から発掘されたもので、欠損部分を
青海波模様の蒔絵で丁寧に修繕されています。

 

濱田庄司  琉球窯藍差赤絵茶碗

濱田庄司先生の最晩年期の作品で、沖縄で制作された一品です。
濱田の七十七歳の喜寿記念に刊行された「濱田庄司七十七碗譜」に
カラー図版で掲載されています。


 

 3階の展示は、1月28日(木)まで開催いたします。