画廊の夜会


画廊の夜会は、毎年5月に開催される銀座のアートイベントです。

黒田陶苑は、今年も参加いたします。
通例では、午後9時までの開催ですが、今年は時間短縮しまして、午後8時までの開催になります。
 


画廊の夜会・銀座ギャラリーズの情報はこちらから


 
【銀座 黒田陶苑アネックス】
 
TEL.03-3571-3223
11:00-19:00 毎週月曜日・定休
※ 5月28日(金)は、20:00まで営業いたします。
 
 
GINZA SIXの真裏・「銀座三原通り」に面する銀緑館2階
 
 
 
銀座 黒田陶苑は、東京都のガイドラインに準じて新型コロナウイルスの感染拡大防止に務めております。
 

北大路魯山人展-陋習打破-



 
このたび黒田陶苑では、北大路魯山人展を開催いたします。
今回は、魯山人先生が昭和31(1956)年に発表したステートメントの中にある言葉「陋習打破」をサブタイトルとしていただきまして、魯山人の陶芸や書・絵画を展観いたします。
「他は他としてまず自分だけでも陋習打破でゆこう。」と書いた魯山人の創作への強い意欲は、個性的な作品になって今、鑑賞者の眼を愉しませています。
新しい空間・黒田陶苑アネックスでぜひ魯山人の作品をご高覧くださいますようご案内申しあげます。

5月28日(金)は、銀座のアートイベント「画廊の夜会」に参加し、午後8時までオープンいたします。

 

 


 
【銀座 黒田陶苑アネックス】
 
TEL.03-3571-3223
11:00-19:00 毎週月曜日・定休
 
 
GINZA SIXの真裏・「銀座三原通り」に面する銀緑館2階
 
 
 
銀座 黒田陶苑は、東京都のガイドラインに準じて新型コロナウイルスの感染拡大防止に務めております。
 

藤ノ木陽太郎 個展



 
このたび唐津焼の藤ノ木陽太郎さんの個展を開催いたします。
土平窯の後継者である陽太郎さんの作陶は、唐津焼の伝統を活かしつつも、新しい作陶にチャレンジする活動を展開しています。
5回目になる今回の作品は、うつわからオブジェ風花器まで多方向にわたる新作200余点の展示になります。
ぜひご高覧くださいますようご案内申しあげます。

 

 

 


 

 


唐津掻落大壷 w32.5×h36.2㎝ 

 

 

 

 


多種多様なうつわ

 


 

藤ノ木陽太郎  Fujinoki Yohtaro

1981 佐賀県唐津市生まれ
2007 多摩美術大学 油画専攻 卒業
2008 父・藤ノ木土平に師事
2012 作品の発表をはじめる
2021 第五回個展(銀座 黒田陶苑)

 


 
【銀座 黒田陶苑アネックス】
 
TEL.03-3571-3223
11:00-19:00 毎週月曜日・定休
 
 
GINZA SIXの真裏・「銀座三原通り」に面する銀緑館2階
 
 
 
銀座 黒田陶苑は、東京都のガイドラインに準じて新型コロナウイルスの感染拡大防止に務めております。
 

五月の常設展 -風薫る-



 
5月の銀座 黒田陶苑アネックスの展示は、常設展でスタートいたします。

現在改築中の本店ビルの1階常設室では、陶芸家の新作のうつわを中心にした展示をしておりました。
現在の黒田陶苑アネックスでは、個展が中心になっていることで、色々な陶芸家の作品を一堂にお見せすることがなくなっております。
今回の展観では、若手作家から陶芸巨匠の作品まで、いろいろな作品を展示し、常設展として皆さまをお迎えしたいと思います。

連休中は、定休日の月曜日(3日・10日)を除き、営業いたします。

 


 

 


(左)西岡 悠   黄瀬戸一合徳利 w7.0×h10.2㎝ ¥19,800-
(前)武末日臣  井戸杯      w7.2×h4.1㎝   ¥38,500-
(右)瀧川恵美子 志野四方向付     w10.1×h7.6㎝  ¥22,000- (箱無)
(盆)大藏達雄  根来日の丸盆     w36.5×h1.8㎝  ¥49,500- (箱無)

 

 


 
【銀座 黒田陶苑アネックス】
 
TEL.03-3571-3223
11:00-19:00 毎週月曜日・定休
 
 
GINZA SIXの真裏・「銀座三原通り」に面する銀緑館2階
 
 
 
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加藤唐九郎 志野ぐい呑みのこと

 

加藤唐九郎 志野ぐい呑みのこと

 

 
加藤唐九郎(1898~1985) 志野ぐい呑み
1980年頃 共箱  w6.7×h5.1cm
   

 

1980年前後の最晩年期の作風の典型的な特徴を表しているぐい呑です。

肉厚に作られてさらに志野釉がたっぷりと掛けられていることもあって、ゴロっとした重量感があり、手の上に乗せた時に感じる存在感に圧倒させられます。

この作品にみられる筒形で寸胴の形状は、現代の志野ぐい呑のお手本になっているほどで、加藤唐九郎の影響力はいまだに衰えていません。

巨匠・唐九郎らしさを誇る逸品である。


胴部脇に「一ム」の彫名。
加藤一無斎(いちむさい)を名乗った時代の最後期の作品です。

 

 

一般的には「ぐい呑」とするところを、唐九郎先生は「ぐい呑み」としているところが面白い。箱書きは「くい呑み」とし、「く」に濁点を付けていませんが、これは唐九郎が古来の書風に倣い、あえて書いていないと判断しています。

 


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 銀座 黒田陶苑アネックス は、
ギンザ・シックス [GSIX] の真裏の三原通りに面する銀緑館の2階にあります。
ご来店を心よりお待ちいたしております。


銀緑館前の三原通りには、パーキングメーターの駐車スペース(1時間300円)が多数設置されています。
また、ギンザシックス地下駐車場(30分300円)の他に近隣には多数の時間貸し駐車場があります。

 


 
【銀座 黒田陶苑アネックス】
 
TEL.03-3571-3223
11:00-19:00 毎週月曜日・定休
 

 


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北大路魯山人 銀彩スカシ鉢のこと

 

北大路魯山人 銀彩スカシ鉢のこと

 

  北大路魯山人(1883~1959) 銀彩スカシ鉢
1958年作 共箱 w31.5×h15.3cm

 

最晩年期の北大路魯山人先生の銀彩の中でも大型の作品です。
魯山人藝術を象徴するマスターピースといって過言ではない作品です。

魯山人が生涯最後に取り組んだ備前の土での制作は、最終的には土味・焼味を隠した銀彩作品へと変化しました。

備前の土で大きな鉢を作り、口辺を指でつまみながら輪花形に。
胴部には不規則かつ大胆に、丸や星形の穴ぐりの透かしが入れられてあります。

 

 

登り窯での焼成後に、全面に銀彩を施し、さらに紺・緑・黄の三色の色絵具で水玉模様を打ち付けるように描く。

鉛色に鈍く輝く銀彩の上に踊る色彩や不規則に空けられた穴の暗黒は、幽玄な世界へと引きこまれる感覚を覚える。

美への執念を燃やし続けた美の巨人・北大路魯山人が最終最後に到達した美の極地といえる作品である。

 


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ギンザ・シックス [GSIX] の真裏の三原通りに面する銀緑館の2階にあります。
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また、ギンザシックス地下駐車場(30分300円)の他に近隣には多数の時間貸し駐車場があります。

 


 
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北大路魯山人 染付浪に魚杯

 

北大路魯山人先生の陶芸制作の最初期に手がけた染付の酒杯です。今から100年前に作られた作品です。

魯山人の初期の作風は、古陶磁を規範にした倣作を多く残し、その作品は古陶磁と見間違えるほどの出来栄えを示した作品も少なくなく、その時代の作品には魯山人先生の古陶磁への熱情が垣間見れることが、魯山人コレクターに注目されていることです。

この酒杯は、中国の染付「祥瑞」の技法・図柄を取り入れたものです。
酒杯の外側に埋め尽くされた図柄は青海波と呼ばれる波模様で、魚、桜花、梅花が三方向に描かれています。
高台に染付で「魯」と入れられています。箱書には、「髄禄艸堂」と篆刻のある角印が押されています。

 


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北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)