西岡 悠 個展 -黄瀬戸のうつわ‐

 

 

 黒田陶苑での初めての個展は、黄瀬戸や織部の食器で挑みます。

                             西岡 悠

 


 

 

 

 
黄瀬戸茶碗

 


 

西岡 悠  Yu Nishioka

1977   千葉県船橋市生まれ
2011   瀬戸・愛知県立窯業高等技術専門校修了
       陶芸家・鈴木五郎に師事
2014   岐阜県恵那に工房を作り、制作を始める

 

 


 

 

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北大路魯山人展 

 

 

 

このたび黒田陶苑では、北大路魯山人先生の「うつわ」作品を特集して展観いたします。
大正時代末期に、東京赤坂にて料亭「星岡茶寮」を経営を始めた若き魯山人は、それまでにない料理や室礼・自作の食器でもって顧客をもてなし、今で云うところの予約のとれない人気店を作り上げ、星岡茶寮の人気は全国に波及、現代の和食文化の礎を築くことになりました。

魯山人先生はうつわを多く制作し、形状・種類・絵文様などに特徴があり、代表作と呼ばれる作品も多く知られています。

今回は、鬼才・魯山人の「うつわ」のかずかずを展観いたします。
ぜひ、ご高覧くださいますようご案内申し上げます。

なお、毎週月曜日は、定休日のため休廊になります。


 



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寺田鉄平個展を開催中

 

 

寺田鉄平さんの個展が好評開催中です。

陶都・瀬戸で織部や瀬戸黒に取り組んでいる寺田さんの個展。
今回は、薪窯で焼成した織部焼を中心にした展観になっています。
近代的な陶芸窯で焼成したものと違いを見せる薪窯織部は、深い味わいを帯びていて、多くのファンを引きつけています。

展覧会は、7月27日(木)まで。

 

 


 

 


薪窯で焼成した織部茶碗

 


 

 

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寺田鉄平 個展 -瀬戸織部-

 

 

このたび黒田陶苑では、愛知・瀬戸を拠点に活動する陶芸家・寺田鉄平さんの個展を開催いたします。
現代の織部は、ガスや電気を熱源とした窯を使って作ることが、最良とされ一般的ですが、寺田さんは古式にのっとり、薪を焚いて焼成する方法にこだわっています。
窯の中の天然由来の炎の影響でもって起こる窯変は、既存の織部焼とは別種の趣きがございます。寺田さんは、研究途上と謙遜されていますが、日本のやきものの未来を見る思いがしております。
ぜひ、ご高覧いただきたくご案内申し上げます。

 


 

 

 

 
織部茶碗






織部盃 2種

 

 

 


 

 

 

 

寺田鉄平  Teppei Terada

1975 愛知県瀬戸市生まれ
1998 東京造形大学卒業
    生家に戻り、父・寺田康雄に師事

 

 

 

 

 


 

 

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辻 清明 信楽自然釉花生のこと

辻 清明 信楽自然釉花生のこと

「山口諭助氏(哲学者)の「明る寂び(あかるさび)」という言葉が、私の心を捕らえた。宿命を素直に受け入れ、自然と合一する静寂の境地というだけでなく、この言葉には華がある。優美でのびやかで、夜明けの空に似た澄んだ気配がある。私の心の波長とぴったりきたのである。」
陶芸家・辻 清明は、実業家で仏教美術などの古美術愛好家だった父親の影響で、子供の頃から美術品に興味を待ち、小学校四年の時には、野々村仁清作・色絵雌鶏香炉を父にねだり誕生日祝いとして買ってもらったという逸話を残す。東京世田谷に生まれ、父親が蒐集した一級の美術品に囲まれて育ち、古陶磁や鍍金仏をおもちゃ代わりにしていた。10歳ころに父所有の古瀬戸四耳壺に魅せられ、自分でも作ってみたいと陶芸家を志し轆轤を引きはじめ、14歳の時には自宅に辻陶器研究所の看板を掲げ作陶活動を開始し、ほどなく、日本橋高島屋美術部に認められ美術画廊の一隅に作品常設の展示ケースが与えられて、白磁の作品が販売された。驚くべきは、辻の展示ケースが板谷波山の展示ケースのすぐ隣に設置されていたことである。1943年、辻が16歳の時のことであった。
戦後、辻は幅広い分野の美術家と交流を深め、公募展・団体展に積極的に参加。作品は、壺や花器などの施釉陶器から食器・アクセサリ-など多岐にわたり変遷していた。
1955年、世田谷から多摩丘陵・連光寺に移り、新たな工房と登り窯で制作をはじめ、1960年には、信楽土を使った無釉焼き締めの作品を手掛け始めたのである。辻は「明る寂び」という言葉が信楽焼にもっとも相応しいと思ったと言い、おもむくままであった作品展開を信楽の土を使い登り窯で焼成することに方向転換し、辻の「日本人独特の精神に触れる作品の制作」が始まったのである。
この作品は、上質な信楽土を用い、轆轤で筒状に成形したのち、登り窯の中で横倒しの状態で焼成された作品で、高温焼成による変形が見られ、明るい緋色に加え、幾筋も流れたビードロ自然釉の美と貝殻の目跡が印象的な作品である。
寂びた風情を残しながら、そこはかとない華やかさや軽いユーモアを含んでいることを「明る寂び」と提唱した山口諭助氏の言葉に協調し、自らの作陶の指針とした辻 清明が到達した境地を見せる一品である。

 

 


辻 清明 信楽自然釉花生