「いろいろなものを見たり、人と話しをしたりし蓄積されたものが、井戸から汲み上げられるように作品になる。しかし、井戸の奥底から汲み上げるためには、自分をクレイジーな状態に追いつめていくしかない。」
戦後の陶芸界の中で、ひときわ異才を放った鯉江良二。
窯業地である愛知県常滑に生まれた鯉江は、幼少の頃より製陶所に出入りしていたことで、陶に携わることを志し、窯業高校を経て常滑市立陶芸研究所に入所。研究員として従事しながら、陶による立体作品を制作するようになった。多数の公募展では受賞歴を重ね、次世代の新星として大きな注目を浴びたのである。陶芸研究所を退所し陶芸家として独立した当時、1960年代の藝術運動の潮流の中で、現代美術に関わりさらに八木一夫らの陶芸運動に触れたことで、陶による創作の可能性を広げてゆくことになった。
1970年代になり鯉江は、「アースワーク」と称し、公園や海岸などでインスタレーションを始める。大地にバーナーで絵を描いたり、自らの顔を型にして地面の土や砂を集めて作った型の顔をひたすら大地に並べてゆくなどのパフォーマンスアートを展開した。その時代の鯉江の代表作として知られている「土に還る」(1971年制作・京都国立近代美術館所蔵)も、顔の型を使った作品である。
1980年代の鯉江は、轆轤を使った花器や食器などを制作し、全国各地で個展を多数開催し、その展覧会数は年間百回を超えるほどの人気を誇っていました。
この作品は、轆轤で作り鉄釉を掛けた作品を高温の窯から引出して水に漬けて急冷させて黒色を出す手法で作られた茶碗です。
鯉江は、茶碗を引き出す際に、1200度を超えて燃焼しているガス窯の扉を大きく開けて取り出すという危険を伴う非常識といえる方法で行っていた。
クレイジーな状況で焼成された茶碗は、陶土や釉薬の表現が多様に変化を見せ、常識的な方法では到達できないとした鯉江の美のコンセプトが凝縮した一品になっています。