初代 徳田八十吉 とくだやそきち
1873 石川県小松市生まれ
家業の染色業を手伝いながら画家を志す
1890 九谷焼窯元の画工になる
1922 作品に「八十吉」の銘を入れるようになる
1936 号を「柳雨軒」とする
1953 国指定無形文化財技術者に指定される
1956 逝去(享年82歳)
初代 徳田八十吉 とくだやそきち
1873 石川県小松市生まれ
家業の染色業を手伝いながら画家を志す
1890 九谷焼窯元の画工になる
1922 作品に「八十吉」の銘を入れるようになる
1936 号を「柳雨軒」とする
1953 国指定無形文化財技術者に指定される
1956 逝去(享年82歳)
初代 川瀬竹春(川瀬竹翁)かわせちくしゅん
1894 岐阜県安八郡輪之内町生まれ
1907 瀬戸に移り、作陶を始める
1910 京都に移り、三代清風与平に指導を受ける
1915 二代三浦竹泉に師事
1919 京都東山南日吉町で作品制作を開始
1927 東山五条に移る
1941 上海にて個展開催
1949 神奈川大磯の三井本家別邸の[城山窯]に招聘される
1953 神奈川大磯に移る
1955 国指定無形文化財技術者に指定される
1966 紫綬褒章を受章
1970 勲四等瑞宝章を受章
1979 竹春の名を長男・順一に譲り、「竹翁」と号す
1983 逝去(享年89歳)
初代 川瀬竹春(川瀬竹翁)かわせちくしゅん
1894 岐阜県安八郡輪之内町生まれ
1907 瀬戸に移り、作陶を始める
1910 京都に移り、三代清風与平に指導を受ける
1915 二代三浦竹泉に師事
1919 京都東山南日吉町で作品制作を開始
1927 東山五条に移る
1941 上海にて個展開催
1949 神奈川大磯の三井本家別邸の[城山窯]に招聘される
1953 神奈川大磯に移る
1955 国指定無形文化財技術者に指定される
1966 紫綬褒章を受章
1970 勲四等瑞宝章を受章
1979 竹春の名を長男・順一に譲り、「竹翁」と号す
1983 逝去(享年89歳)
北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin
1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)
まるで、魯山人が作ったかのような染付の鉢ですが、これは北大路魯山人がかつて所有していた中国明末清初時代の呉須大鉢です。
魯山人は坐辺師友と云い、蒐集した古陶磁を陶芸創作のヒントにしていました。
この作品は、その代表的なもので、ご覧いただくとおり、器面全体に漢字を書いたスタイルは魯山人の染付花入などに見られるものです。
永く魯山人が愛蔵したため、コンディションもとても優れています。
加藤土師萌 かとうはじめ
1900 愛知県瀬戸市に生まれる
1927 岐阜県陶磁器試験所に技師として勤務
1940 神奈川県横浜市日吉に移る
1952 [加藤土師萌新作展](銀座 黒田陶苑)
中日文化賞を受賞
1955 東京藝術大学美術学部教授に就任
1961 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1966 日本工芸会理事長に就任
1967 紫綬褒章を受章
1968 逝去(享年68歳)