六世 清水六兵衛 きよみずろくべい
1901 京都市東山に生れる(五世清水六兵衛の長男)
1920 京都市立美術工芸学校絵画科卒業
1925 父・六兵衛の助手として作陶を始める
1945 家督相続し、六世清水六兵衛を襲名
1962 日本芸術院会員になる
1970 京都文化功労者
1976 文化功労者となる
1980 逝去(享年79歳)
六世 清水六兵衛 きよみずろくべい
1901 京都市東山に生れる(五世清水六兵衛の長男)
1920 京都市立美術工芸学校絵画科卒業
1925 父・六兵衛の助手として作陶を始める
1945 家督相続し、六世清水六兵衛を襲名
1962 日本芸術院会員になる
1970 京都文化功労者
1976 文化功労者となる
1980 逝去(享年79歳)
加藤土師萌 かとうはじめ
1900 愛知県瀬戸市に生まれる
1927 岐阜県陶磁器試験所に技師として勤務
1940 神奈川県横浜市日吉に移る
1952 [加藤土師萌新作展](銀座 黒田陶苑)
中日文化賞を受賞
1955 東京藝術大学美術学部教授に就任
1961 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1966 日本工芸会理事長に就任
1967 紫綬褒章を受章
1968 逝去(享年68歳)
藤本能道 ふじもと のうどう(本名・よしみち)
1919 東京出身
1941 東京美術学校工芸科を卒業
1970 東京藝術大学教授に就任
1976 陶板展(銀座 黒田陶苑)
1985 東京藝術大学学長に任命
1986 重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定
1991 勲二等旭日重光章を受章
1992 逝去(享年73歳)
加守田章二 かもだしょうじ
1933 大阪府岸和田市に生まれる
1952 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学
1956 京都市立美術大学卒業。茨城日立に移り製陶所に勤務
1959 栃木県益子に移り制作を開始
1962 穴窯での灰釉作品の制作が始まる
1965 灰釉作品が注目される
1966 日本陶磁協会賞を受賞
1967 高村光太郎賞を受賞
1969 岩手県遠野に移り、その後作品は毎年変化していく
1970 [曲線彫文]を発表
1971 [彩色]を発表
1974 [陶板展](銀座 黒田陶苑)以後毎年出品
1979 東京東久留米に工房を移す
1983 逝去(享年49歳)
八木一夫 やぎかずお
1918 京都東山に生まれる
1931 京都市立美術工芸学校彫刻科に入学
1937 美術工芸学校卒業後、商工省陶磁器試験所の伝習生となる
1939 入隊。翌年に除隊。
1943 立命館中学校の図画工作教諭になる
1946 退職し、陶芸制作に専念する
[青年作陶家集団]に参加する
1948 [青年作陶家集団]解散。直後に[走泥社]を結成する
1954「ザムザ氏の散歩」を発表
1955 無釉焼締のオブジェの制作が始まる
1957 黒陶作品の制作が始まる
1959 オステンド国際陶芸展(ベルギー)でグランプリ受賞
1962 プラハ国際陶芸展(チェコスロバキア)でグランプリ受賞
1970 現代の陶芸-ヨーロッパと日本展に招待出品
1971 京都市立芸術大学美術学部陶芸科教授に就任
札幌冬季オリンピックのメダルのデザインを担当する
1973 京都芸大シルクロード調査隊長として中東へ赴く
日本陶磁協会賞金賞を受賞
1974 [現代の陶芸-陶板展](銀座 黒田陶苑)
1976 随筆集[懐中の風景]を出版
1978 [還暦記念・八木一夫展]を開催。新旧作品を対比した展示を行う
1979 逝去(享年60歳)
板谷波山 いたやはざん
1872 茨城下館に生まれる
1894 東京美術学校彫刻科卒業
1896 石川県工業学校木彫科主任教論になる
1903 東京田端に移り工房を築く
波山と号し制作を開始
1906 日本美術協会展・技芸褒状一等を受賞
1917 日本美術協会展・金牌第一席を受賞
1929 工芸家として初の帝国美術院会員となる
1934 帝室技芸員となる
1953 文化勲章を受勲
1960 重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるが辞退
1963 逝去(享年91歳)
川喜田半泥子 かわきたはんでいし
1878 大阪市で出生(本名・善太郎)
1979 家督相続、16代川喜田久太夫政令を襲名
1903 百五銀行取締役に就任
1910 三重県議会議員に選出
1912 趣味の作陶をはじめる
1919 百五銀行頭取に就任
1925 三重県津市千歳山に窯を築き、作陶を本格化させる
1934 工房を[泥仏堂]と名付け号としても用いる
1942 からひね会発足し、金重陶陽・三輪休和・荒川豊蔵らを指導
1946 千歳山から廣永に移り、製陶所[広永陶苑]を創設
1957 傘壽記念半泥子翁八十賀百碗譜を刊行
1963 逝去(享年84歳)