北大路魯山人 そめつけ花入

北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)

魯山人旧蔵 呉須漢詩文鉢

まるで、魯山人が作ったかのような染付の鉢ですが、これは北大路魯山人がかつて所有していた中国明末清初時代の呉須大鉢です。

魯山人は坐辺師友と云い、蒐集した古陶磁を陶芸創作のヒントにしていました。

この作品は、その代表的なもので、ご覧いただくとおり、器面全体に漢字を書いたスタイルは魯山人の染付花入などに見られるものです。

永く魯山人が愛蔵したため、コンディションもとても優れています。

加藤土師萌 織部手付一輪挿

 

加藤土師萌 かとうはじめ

1900 愛知県瀬戸市に生まれる
1927 岐阜県陶磁器試験所に技師として勤務
1940 神奈川県横浜市日吉に移る
1952 [加藤土師萌新作展](銀座 黒田陶苑)
         中日文化賞を受賞
1955 東京藝術大学美術学部教授に就任
1961 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1966 日本工芸会理事長に就任
1967 紫綬褒章を受章
1968 逝去(享年68歳)

加藤土師萌 色絵松紋大皿

 

加藤土師萌 かとうはじめ

1900 愛知県瀬戸市に生まれる
1927 岐阜県陶磁器試験所に技師として勤務
1940 神奈川県横浜市日吉に移る
1952 [加藤土師萌新作展](銀座 黒田陶苑)
         中日文化賞を受賞
1955 東京藝術大学美術学部教授に就任
1961 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1966 日本工芸会理事長に就任
1967 紫綬褒章を受章
1968 逝去(享年68歳)

荒川豊藏 志野茶碗

 

 

荒川豊蔵 あらかわとよぞう

 

1894 岐阜県多治見に生まれる

1922 京都に移り、宮永東山窯の工場長を務める

北大路魯山人に出会う

1927 鎌倉に移り、魯山人の星岡窯に勤務

1933 星岡窯を辞し、美濃大萱牟田洞に移り作品制作を始める

1941 初個展(梅田阪急・当苑主催)

1946 多治見・虎渓山に食器製造目的の水月窯を創設

1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される

1960 宗達下絵光悦筆[三十六歌仙和歌巻](重要文化財)を購入

1971 文化勲章を受章

1977 随筆集[縁に随う]刊行

1985 逝去(享年91歳)

加藤卓男 ラスター彩胡姫文香炉

 

加藤卓男 かとうたくお

1917 岐阜県多治見市に生まれる(五代加藤幸兵衛の長男)
1961 フィンランド工芸美術学校修了
1963 日展特選北斗賞を受賞
1980 宮内庁より正倉院三彩の復元制作を委嘱される
1983 多治見市と岐阜県の重要無形文化財技術保持者に認定
1991 日本陶磁協会賞金賞受賞
1995 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
2005 逝去(享年87歳)

加藤卓男 正倉院復元三彩水指

 

加藤卓男 かとうたくお

1917 岐阜県多治見市に生まれる(五代加藤幸兵衛の長男)
1961 フィンランド工芸美術学校修了
1963 日展特選北斗賞を受賞
1980 宮内庁より正倉院三彩の復元制作を委嘱される
1983 多治見市と岐阜県の重要無形文化財技術保持者に認定
1991 日本陶磁協会賞金賞受賞
1995 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
2005 逝去(享年87歳)