バーナード・リーチ 蒔絵煙草入

バーナード・リーチ | Bernard Leach

1887
香港に生まれる(国籍イギリス)
4歳まで日本在住
1907
ロンドン美術学校入学
高村光太郎と知遇を得る
1909
再来日し東京・上野で画塾を開く
入門してきた柳宗悦と出会い親交を深める
1910
富本憲吉と出会う
1911
六代尾形乾山に師事、陶器制作を始める
1917
千葉我孫子の柳宗悦宅に窯を作り作品制作
濱田庄司と出会う
1920
濱田庄司を伴って帰英
1922
イギリス南部セントアイブスで制作開始
1934
再来日。その後、頻繁に来日し日本各地で作陶する
1974
最後の来日(13回目)
1977
90歳記念回顧展開催(英・ヴィクトリア&アルバート美術館)
1979
逝去(享年92歳)

バーナード・リーチ 黒楽茶碗

バーナード・リーチ先生は、1966年には5月と11月の二度の来日をしています。
この年、リーチは乾山に関する著作図版を刊行しており、その出版協力者であった美術品収集家であり茶人であった名古屋在住の森川如春庵(1887~1980)を訪ねます。

その名古屋訪問の際に、陶芸家・中村道年の工房に置いてあった森川如春庵が以前に手造りして素焼きまでしてあった茶碗に、リーチが絵付けをし、黒楽で作った極めて稀少な作品で、森川如春庵が終生愛蔵した一品です。

胴部に二羽の海鳥、反対面には波間に見え隠れする岩礁の岩を描いています。
この模様はリーチが暮らしたイギリス・セントアイブスの海岸風景を図案化したものです。
高台脇に、大きくB.Lと入れてあります。

箱の表書きは、森川如春庵が「手造 黒・朱印」、リーチが二羽の海鳥の絵を入れています。
裏書きは、リーチによる「 B.L. 」の墨書。
箱の側面には、森川如春庵が、「旧作手造り 素やき茶碗にリーチ氏 絵を書きしを道年に焼せしものなり・朱印」としたためています。

本阿弥光悦の茶碗を思わせる造形でたっぷりと大振りな茶碗に仕上がっています。

 


 

バーナード・リーチ | Bernard Leach

1887
香港に生まれる(国籍イギリス)
4歳まで日本在住
1907
ロンドン美術学校入学
高村光太郎と知遇を得る
1909
再来日し東京・上野で画塾を開く
入門してきた柳宗悦と出会い親交を深める
1910
富本憲吉と出会う
1911
六代尾形乾山に師事、陶器制作を始める
1917
千葉我孫子の柳宗悦宅に窯を作り作品制作
濱田庄司と出会う
1920
濱田庄司を伴って帰英
1922
イギリス南部セントアイブスで制作開始
1934
再来日。その後、頻繁に来日し日本各地で作陶する
1966
来日(8回目)この年2回来日する
勲二等瑞宝章を受章
1974
最後の来日(13回目)
1977
90歳記念回顧展開催(英・ヴィクトリア&アルバート美術館)
1979
逝去(享年92歳)

 

富本憲吉 金彩盒

富本憲吉 とみもとけんきち

1886 奈良県旧安堵村に生まれる
1904 東京美術学校図案科に入学
1908 建築・室内装飾を学ぶためイギリスに留学
1910 帰国。木版画などの制作を始める
1913 バーナードリーチの指導により楽焼の制作を始める
1919 白磁の制作を始める
1926 濱田庄司・河井寛次郎らと民芸運動を起こす
1927 東京・上祖師谷に移る
1935 武蔵野美術大学教授に就任
1944 東京美術学校教授に就任
1946 東京美術学校教授を辞任し、京都に移る
1948 [富本憲吉新日本画鑑賞会](銀座 黒田陶苑)
1949 [富本憲吉小品陶画展](銀座 黒田陶苑)
1950 京都市立美術大学教授に就任
1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1961 文化勲章を受章
1963 京都市立美術大学学長に就任
         逝去(享年77歳)

加藤唐九郎 志野ぐい呑み

加藤唐九郎 かとうとうくろう

1898 愛知県瀬戸市に生まれる
1914 製陶業を始める
1933 随筆「黄瀬戸」を刊行
1934「陶器大辞典」を刊行
1935 名古屋市守山区翠松園に移る
1950 戦後初個展[瀬戸黒茶わん展]開催(銀座 黒田陶苑)
1952 無形文化財有資格者に認定される
1953 [新作陶芸展]開催。初めて黄瀬戸を発表(銀座 黒田陶苑)
1954 桃里会に参加
1955 荒川豊蔵、石黒宗麿らと「日本工芸会」を結成
1960 永仁の壷事件起こる
1961 一無斎の号を得る
1964 [東京オリンピック記念・加藤唐九郎陶芸展]を開催
1969 志野茶碗「鬼ケ島」完成
1972 原色陶器大辞典を刊行
1982 最後の個展[加藤唐九郎の世界展]を開催
1985 逝去(享年87歳)

北大路魯山人 盛盞瓶

北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)

北大路魯山人 蝦耳水指

北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)

六世・清水六兵衛 古稀彩紅梅ぐい呑

六世 清水六兵衛 きよみずろくべい

1901 京都市東山に生れる(五世清水六兵衛の長男)
1920 京都市立美術工芸学校絵画科卒業
1925 父・六兵衛の助手として作陶を始める
1945 家督相続し、六世清水六兵衛を襲名
1962 日本芸術院会員になる
1970 京都文化功労者
1976 文化功労者となる
1980 逝去(79歳)