三輪休和 萩焼酒呑

 

萩焼の名門・三輪家の十代目。人間国宝・三輪休和の萩焼酒盃の逸品。

枇杷色をした萩焼の優しい色合いと暖かい色調が引き立ちます。

萩焼中興の祖が作った萩焼の典型作として、この作品を手にしますと、その伝統の重みが伝わってくるようです。


 

三輪休和 みわきゅうわ

1896 山口県萩市に生まれる(九代三輪雪堂の次男)
1910 家業に従事し、作陶を始める
1927 十代三輪休雪を襲名
1942 川喜田半泥子と交友する
1956 山口県指定無形文化財に認定
1967 家督を弟・節夫に譲り、「休和」と号す
1970 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1977 逝去(享年86歳)

 


 

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三輪休雪 萩焼盃

 

十一代三輪休雪先生のぐい呑。

潤いのある純白が美しい白萩で、休雪の典型的な作風を示す作品です。高台に丸印で「休雪」の押印があります。

 


 

十一代三輪休雪 (三輪壽雪) みわきゅうせつ

1910 山口県萩市に生まれる(九代三輪雪堂の三男)
1927 家業に従事し、作陶を始める
1955 三輪休と号。三輪節夫の本名で作品発表を始める
1960 日本工芸会正会員になる
1967 十一代三輪休雪を襲名
1972 山口県指定無形文化財に認定
1976 紫綬褒章を受章
1982 勲四等瑞宝章受章
1983 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1990 勲四等旭日小授章受賞
2003 家督を長男・龍作に譲り、「壽雪」(じゅせつ)と号す
2012 逝去(享年102歳)


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加守田章二 灰釉花瓶

 

1960年代に栃木・益子で、穴窯を使って灰釉作品を制作していた加守田章二先生。

安定した大量焼成が可能な「登り窯」が主流だった当時の益子にあって、中世の古陶風の作調を求めて、不安定で失敗が多い古風な穴窯を使い制作することは、大きな冒険でした。

常滑の鯉江良二に相談するなど改良を重ね、目標としていた濃緑色の美しい釉色を実現。
1962年に最初の穴窯を築いてから3年後の1965年には、公募展で受賞するなど世評の評価を得るようになり、その濃緑色と淡青色が混在する美しい穴窯灰釉によって加守田章二の名を一躍有名にすることになりました。

この作品は、加守田章二の灰釉の特徴を詰め込んだような作品で、轆轤目をあえて強調した筒型の花瓶です。
やや開き加減に上部に向かって立ちあがる造形はシャープで、巧みな轆轤のわざが映し出されています。

 


加守田章二 かもだしょうじ

1933 大阪府岸和田市に生まれる
1952 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学
1956 京都市立美術大学卒業。茨城日立に移り製陶所に勤務
1959 栃木県益子に移り制作を開始
1962 穴窯での灰釉作品の制作が始まる
1965 灰釉作品が注目される
1966 日本陶磁協会賞を受賞
1967 高村光太郎賞を受賞
1969 岩手県遠野に移り、その後作品は毎年変化していく
1970 [曲線彫文]を発表
1971 [彩色]を発表
1974 [陶板展](銀座 黒田陶苑)以後毎年出品
1979 東京東久留米に工房を移す
1983 逝去(享年49歳)


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河井寛次郎 海鼠鉢


 

中国・宋時代の鈞窯に原初をうかがうことができる格調高い寛次郎の鉢です。

タチアオイ・木槿などの気品高い花木の花びらをモチーフにし形作られ、中国の宮廷料理の高級食材であるナマコの色に似ていることから、海鼠釉と名付けられた青と黒と淡青の色調が美しい作品。

釉薬の天才と呼ばれた寛次郎が、民藝運動に参画し活動を始めた当初の作品で、民藝スタイルの重厚・骨太の印象があります。
超絶技巧・繊細精緻を誇った民藝参加以前の作風とは一線を画しながらもなお、美しい釉薬表現を目の当たりにすれば、釉薬の天才の片鱗を隠しきれないでいる民藝参加直後の寛次郎の心の葛藤が垣間見れます。

民藝運動によって生まれた各地の民芸品に、このような作風が多く存在するのは、この寛次郎作品の影響があると考えられています。

 


 

河井寛次郎 かわいかんじろう

1890 島根県安来市に生まれる
1914 東京高等工業学校窯業科卒業
  京都市陶磁器試験場へ入所
1920 京都五条坂で制作活動を開始。工房を[鐘渓窯]とする
    中国や韓国の古陶磁を参考にした作品を制作
1922 東京での個展が好評を博し、名声が高まる
1924 スリップウエアに感激し、作風が変化
1926 柳宗悦・濱田庄司らと民芸運動を起こす
  簡素な形にオリジナル図案を施した作品を制作
1937 パリ万国博でグランプリを受賞
1949 創作的な作品の制作が始まる
1966 逝去(享年76歳)

 


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