備前焼の渡辺 聡さんの個展が始まりました。
今回のテーマは、蓋のあるものということで、香合のような小さな作品から陶函まで、さまざまな用途の作品が展示されています。
形状もさまざまで、家や教会、船などから、丸や四角の箱ものまで、丹精に作られて、ひとつひとつ蓋を開けてみたくなります。
展覧会は、14日(木)まで。なお、11日の月曜日は、定休日になります。
渡辺 聡:備前の船
備前焼の渡辺 聡さんの個展が始まりました。
今回のテーマは、蓋のあるものということで、香合のような小さな作品から陶函まで、さまざまな用途の作品が展示されています。
形状もさまざまで、家や教会、船などから、丸や四角の箱ものまで、丹精に作られて、ひとつひとつ蓋を開けてみたくなります。
展覧会は、14日(木)まで。なお、11日の月曜日は、定休日になります。
渡辺 聡:備前の船
「宮永東山さんのところへ来て初めて、焼き物に風雅なものがあるのを知る。古い良い焼き物もよく見て回った。勉強になった。」
大正11年、それまで多治見で洋食器の画工をしていた荒川豊藏が28歳の時、京・伏見の初代 宮永東山から画工としての技量を買われて、家族と共に伏見に移り、住込みで働くことになった。
当時の宮永東山は、顧客に岩崎家・鍋島家や東京の一流料亭が名を連ね、横山大観や下村観山・川合玉堂らの日本画家との交流もあり、大正から昭和にかけ、京都の名門として名を馳せ、50名を超える職人を要して栄えていた。
その宮永東山の工房で、荒川豊藏はそれまで見たことのない味わいのある焼き物を知ることになり、また、宮永東山と親交のあった北大路魯山人との運命的な出会いも得ました。
この作品は、昭和16年、47歳の荒川豊藏が陶芸家になって初めて開いた個展に出品した作品です。
東京国立博物館や京都・北村美術館等が収蔵し、古来より茶人の間で高名な「古染付高砂手花入」(中国・17世紀)を忠実に模したもので、筆致・筆勢の巧みさは、本家と比べても見劣りなく驚くべきものがある。茶人・数寄者が愛好した「風雅」を取り入れ、荒川豊藏の画才を遺憾なく発揮した格調高い一品です。
このたび黒田陶苑では、渡辺 聡さんの個展を開催いたします。
今年は、蓋の有るうつわの蓋物をテーマにして制作。さまざまに派生した形をもつ色々な形態の作品が出来上がりました。
何かをいれるための陶器のようにも思えますが、実用というよりも心を和ませるイン
テリアのような感覚で、身の周りにそっと置いておきたいと思わせるうつわです。
数多い備前焼作家の中でも、際だって塑像造形のセンス良い渡辺さん渾身のハンドメ
イドは、手触りもよくて冷たいはずのうつわなのに、温もりすら感じます。
渡辺さんが思いつくすべての蓋の有るうつわが会場に並びます。
ぜひ、ご高覧くださいますようご案内申しあげます。
備前 船
備前 家
渡辺 聡 Watanabe Satoshi
1959 広島県三原市生まれ
1983 専修大学経済学部卒業 陶芸家・森 陶岳に師事
1989 岡山牛窓・寒風に工房をつくる
1990 20メートルの半地下式登り窯を築く
2007 第一回個展(銀座 黒田陶苑)以降定期開催
毎年開催し14回目を迎える今回の展覧会では、初個展の頃から手掛け、近年になっ
てさらに洗練されてきている三彩と藍彩。
作者の思い通りにならずに流下する多色の釉薬は、細心注意し神経を研ぎ澄ませつつ
窯の温度管理に向き合うのだが、窯から出される作品を見る度、気力を削がれるよう
な失敗の連続に見舞われることが多々あるという。
彼ほどの技量と才能・美的感性をもっているならば、他の作風への転換は容易いと思
うが、彼は一切ブレずに、そじて一切の妥協を許さず、その困難に真正面で立ち向
かっている。
ここにこうして写真に写る作品は、奇跡的に生まれた作品であり、だからこそ美し
く、そして高潔なのであろう。 黒田佳雄
三彩蓋付飾壺 h37.0㎝
加藤清和 Kato Kiyokazu
1970 京都市東山区出身
1990 京都府陶工高等技術専門校卒業
2006 第1回黒田陶苑個展(以降毎年)
2013 日本陶芸展最高賞グランプリ受賞
2016 日本伝統工芸展 奨励賞受賞
北大路魯山人先生が江戸時代の尾形乾山の有名な作品「土器皿」をオマージュした作品です。
桔梗・菊・波・露草・菖蒲・松・桐・舟の尾形乾山の代表的な文様を八枚の皿に表しています。余白部分には、塗りつぶすように金箔で荘厳しており、豪華絢爛の雅やかな作品になっています。
高台部分には、鉄絵具を用いて「乾山」と入れ魯山人先生の乾山への敬意と執着ぶりが伝わってまいります。
北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin
1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)