桑田卓郎 個展 -Shake hands-

 

金滴カップ・銀滴カップ


自らは「やきものは大嫌い」と公言しつつも、日本の陶芸界の中ではコンテンポラリーアートに最接近し、アートと工芸との境界線を探り続ける桑田卓郎は、実のところ本当は、やきものをこよなく愛している。

かの北大路魯山人は古稀70歳を迎える頃、海外での個展を企てる際に、ハンドルを付けたビアジョッキを創作しましたが、それは西洋文化との親和を目指したものでありました。敗戦後の日本が、藝術文化をしていかに西洋と握手できるかを試した魯山人。明治期の輸出磁器を例外に、日本の陶磁器には無かった持ち手の付いたうつわをあえて創り出し、欧米に日本文化・うつわ文化の殴り込みをかけた魯山人の企ては、みごとに成功をみました。

50年の時を経て新しい時代を迎え、桑田卓郎が手の付いたうつわを以って、再び、西洋との握手を求めています。

今回の展覧会は、手付のうつわ作品の初めての発表になります。是非、ご高覧ください。      黒田佳雄

 

 

 


 

桑田卓郎 Takuro Kuwata

1981 広島県福山市生まれ
2001 京都嵯峨芸術短期大学卒業
2007 多治見市意匠研究所修了
2008 第一回個展(銀座 黒田陶苑)
2015 第六回個展(銀座 黒田陶苑)

 

 

原 憲司 個展

 

このたび、原 憲司先生の個展を開催する運びとなりました。
はやいもので、わたくしどもが原憲司先生の個展を初めて開催してから10年を過ぎました。
その間、原 憲司先生の制作活動によって桃山時代の黄瀬戸が再認識され、さらなる高みへの憧憬として陶芸家を志す人々の指針となりました。
原先生は、さらに熟達の領域を目指しており、桃山を超越した神技を取得したようにも思えます。
祖父の初代陶々庵をして、「唐九郎でさえ、ウロウロしていたのに、よくやったな。」と言わしめた見事な黄瀬戸は、さらに熟成されています。
至上主義を貫く寡作ゆえに、少数厳選の展覧会とあいなりますが、陶芸ファン必見の名作が出そろいます。
ご多用とは存じますが、ぜひご高覧くださいますようご案内申し上げます。     黒田佳雄

 


 

 

黄瀬戸茶碗

 

 


 

原 憲司 Hara Kenji

1947 東京生まれ
1969 加藤卓男に師事
1982 独立。桃山陶・黄瀬戸を中心に制作
2002 名碗二十撰出品(銀座 黒田陶苑)
2003 現代の酒器展出品(銀座 黒田陶苑)
2005 銀座 黒田陶苑における第一回個展

 

 

 

桶谷 寧 陶芸展

 

曜変天目の第一人者として注目を浴びる桶谷 寧氏の新作展を開催いたします。

桶谷氏は、天目を中心に井戸や志野・黒など多彩な作品を作ることでも知られて

おります。

今回の新作展では、斬新で今までにない新鮮な作品が並ぶことになります。

ぜひ、ご高覧ください。

 

 


 

 

 

 

 曜変天目茶碗 2015

 

 

 


 

桶谷 寧 Oketani Yasushi

1968 京都生まれ
1990 関西大学卒業
1996 曜変の試作に成功
2001 曜変天目が完成する
2003 銀座 黒田陶苑個展(以降毎年開催)


古今の名碗展

 

 石黒宗麿 鵲鴣斑碗

 



岡部嶺男 米色瓷茶碗

 




中国大陸から伝わり鎌倉時代から始まった我が国の喫茶の習慣は、時代とともに多種多様に変化してまいりました。喫茶文化の変化は、茶を飲むためのうつわ「茶碗」に革新をもたらし、日本の工芸文化の基礎を作り出します。

今回の展覧会では、室町時代の古陶から近代陶芸家の意欲作までを特集して展観いたします。ご高覧くださいましたら幸いに存じます。

 


 

 

太田 梁 陶芸展 ‐回顧・その先の今‐

 絵志野茶碗

黄瀬戸茶碗


「今はその先に何があるのか、見つけ出せればと思っております」

 難しいとされる桃山時代の黄瀬戸を再現、完成させた太田梁。
二十歳代後半に初めて陶芸と出会い、遅いスタートで独立した太田さんには、天賦の陶器勘があった。集めていた古陶片は秀逸であったし、釉薬や陶土の研究アプローチでは鋭い感覚と集中力を見せていた。
太田さんが胸の奥に秘めていた「その先」を見てみたかったが、今は、遺された数少ない作品を手にして、太田さんの陶心に触れてみるしかありません。

 


 

 

 

太田 梁  おおたりょう

1971 岐阜県瑞浪に生まれる(本名・太田良二)
2000 音楽活動を経て、愛知県瀬戸で陶芸修行を始める
2005 瑞浪の生家に工房「咲良窯」を設置
織部・志野・黄瀬戸等の食器を中心に制作を始める2006 東海伝統工芸展に入選する
2010 桃山風黄瀬戸の制作が本格化する
2013 逝去

石黒宗麿 鵲鴣斑茶碗

 

石黒宗麿先生の名作・鵲鴣斑(しゃこはん)の茶碗です。
鵲鴣斑とは、古来からの言い習わしで、鉄釉の上に褐色釉・柿釉を点々と描きつけたものです。「鷓鴣」という鳥の首の斑紋に似ていることに由来します。

極粗土を用いた大振りの茶碗で、茶碗の内外全面に鵲鴣斑が施されています。
下地の黒釉と表面の柿釉の対比が、とても美しく、見ごたえがございます。

高台の畳付に「栩」の印が押されています。

 


 

 

石黒宗麿 いしぐろむねまろ

1893 富山県新湊に生まれる
1918 国宝・曜変天目茶碗を見て感動し、陶芸家を志す
1919 東京で陶芸制作を始める。その後各地に転居を繰り返す
1927 京都東山蛇ヶ谷に移る。盟友となる小山冨士夫を知る
1935 京都洛北八瀬に窯を築く
1937 パリ万国博覧会に出品し銀賞受賞
1941 [石黒宗麿作陶展観](銀座 黒田陶苑)
1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
     荒川豊蔵、加藤唐九郎らと[日本工芸会]を結成
1963 紫綬褒章を受章
1968 逝去(享年75歳)

瀧川恵美子 個展

 

鼡志野向付

瀧川恵美子さんのうつわ

瀧川さんは、桃山時代に美濃の地で作られた志野や織部のうつわを手本にして自らの作品を作ってきており、その作陶姿勢が高く評価されるようになってまいりました。
瀧川さんの作陶活動の初期には、「桃山陶」の形状をはじめ、質感やサイズに関して、本歌に忠実に再現することを目指していた。その後、自らの作品を「使ってもらいたい」と思い始めた頃には、桃山時代のうつわのサイズが、現代の日常生活の感覚に似合わないと考え始めていた。
そう。実は、桃山陶のうつわは確実に大きい。一回りかそれ以上のスケール感があり、現代生活の食卓には少なからずの違和感がある。作り手が使ってほしいと願っても、使い手が感覚的に大きいと感じれば、良い作品だなあと思っても敬遠するのは当然のことだろう。そこで瀧川さんは、持ち前の女性目線を発揮し、うつわのサイズを見直すことになり結果、今の人気を獲得するようになりました。
質感や形状に上質を極めた桃山時代の雰囲気を保ちながら、実用にして身近に愉しめる。瀧川さんのうつわの魅力は、このサイズ感にあるといえます。それが、瀧川の個性になっている。
ぜひ、お試し、お使いになってみてください。

 


 

瀧川恵美子 Takikawa Emiko

1956 愛知県豊川市生まれ
1977 多治見工業高校専攻科修了
1990 製陶所勤務後、独立。制作を開始
2006 岐阜県土岐市に工房設置
2011 第一回個展(銀座 黒田陶苑) 以降毎年開催