人間国宝・黒田辰秋の上質な欅(けやき)材を用いた大型のお盆です。
美しい木目を求めるために行脚した、辰秋の厳しい目線で選ばれた最高で最上の、欅の大木が使われています。
日本の風土と気候、そして永き歳月が作り出した世界最高峰の和の美を誇ります。
作品の裏面も見逃すことはできません。
このサイズのお盆は、めったに市場に現れることがありません。このたび、コレクターさまから特別にお譲り・ご縁をいただきました。
人間国宝・黒田辰秋の上質な欅(けやき)材を用いた大型のお盆です。
美しい木目を求めるために行脚した、辰秋の厳しい目線で選ばれた最高で最上の、欅の大木が使われています。
日本の風土と気候、そして永き歳月が作り出した世界最高峰の和の美を誇ります。
作品の裏面も見逃すことはできません。
このサイズのお盆は、めったに市場に現れることがありません。このたび、コレクターさまから特別にお譲り・ご縁をいただきました。
民藝の巨匠と云われた濱田庄司の最晩年期に制作された扁壷。
赤味のある茶褐色の柿釉の変化が美しい扁壷で、正面に抽象文様・背面にトウキビ文が抜絵の技法で描かれています。
抜絵とは、釉薬を施釉する前に蝋で文様を描き、釉薬をはじかせる技法で、濱田庄司は初期から最晩年まで、この抜絵技法を好んで用いていました。
ところどころに黒味が現れた柿釉は、この作品を重厚かつ格調高いものに昇華させています。
異例なほど上質な桐箱に納められており、濱田自身の本作品への愛着と誇りを感じます。
濱田庄司 はまだしょうじ
1894 神奈川県川崎市に生まれる
1916 東京高等工業学校窯業科卒業
京都市陶磁器試験場へ入所
1920 バーナードリーチの誘いで渡英
1924 帰国後、沖縄・京都などに滞在する
1926 柳宗悦・河井寛次郎らと民芸運動を起こす
1931 栃木県益子の住居に登窯を築く
1942 古民家を移築し、陶房兼住居とする
1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1968 文化勲章を受章
1978 逝去(享年84歳)
ご内覧希望・在庫・価格など、この作品についてのお問い合わせは、メールでお願いいたします。
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岡部嶺男先生の灰釉ぐい呑。
1962年頃から、青瓷作品を本格的に取り入れるようになった岡部嶺男先生ですが、同時に、天目・鉄釉・灰釉の作品も手掛けてゆきました。
深い天目形状のこのぐい呑は、洗練された造形美をしており、さらには宝石の輝きにも譬えられる美しい灰釉を纏っています。
嶺男灰釉の究極を感じていただける逸品。
掌の上で、鑑賞するだけでもこの作品の魅力は存分に伝わってまいります。
岡部嶺男 おかべみねお
1919 愛知県瀬戸市に生まれる(加藤唐九郎の長男)
1935 学校に通いながら家業に従事し、作陶を始める
1938 東京理科大学に入学
1940 大学を中退し入営。各地を転戦
1945 敗戦後、捕虜となる
1947 復員。愛知県豊田市平戸橋に移る
作陶を再開する
1954 日展北斗賞を受賞
1962 青瓷を始める
1965 紺綬褒章を受章
1968 愛知県日進に移る
1970 窯変米色瓷が完成
1978 病に倒れ半身不随になる。加藤から岡部に改姓
1989 再起新作展を開催し新作を発表
1990 逝去(享年70歳)
2011 没後20年回顧展[宿命-岡部嶺男展](銀座 黒田陶苑)
Mineo Okabe
1919 Born in Seto, Aichi prefecture.
1937 Graduated from Seto Ceramic High School.
1938 Entered into Tokyo University of Science.
1940 Dropped out from the university. Entered into the army of inner Mongolia.
1947 Demobilization from the army. Settled in Hiradobashi, Aichi. (current Toyota city)
1949 Independently began ceramics in Hiradobashi. Married to Tatsuko.
1955 Received the award of the Japanese Ceramics Society at the first time.
1963 Started focusing on researching celadon. Moved to Nisshin, Aichi.
1965 Succeeded in producing 'Funseiji' (粉青瓷) Powdery Celadon. Received Medal with Dark Blue Ribbon.
1969 Dedication of a set of Celadon vases to Umenoma room of Imperial Household Agency
1970 Succeeded in producing Yohen Beishokuji. (窯変米色瓷)
1978 Hospitalization by cerebral hemorrhage. Changed his sir name from Kato to Okabe.
1989 Exhibition of new works from recovery at Matsuzakaya department store in Nagoya.
1990 Passed away at the age of 70.
2011 Retrospective exhibition [Destiny] at Ginza Kuroda Touen.
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1973年に制作された鹿児島壽蔵先生の高度な技術を凝縮させた作品。
繊細精緻な技が冴え、色彩感覚が特に優れた [ 陶胎染色和紙金砂子装 ] の婦人像です。
陶土で塑像し焼成して陶胎を作り、その上に、手漉きした和紙に彩色したものを多層に貼り込み、最後に金砂子で荘厳するという技法で制作された逸品になっています。
人間国宝 鹿児島壽蔵 人形作品集所載(朝日新聞社刊・1977年)
万葉集の志貴皇子の短歌に
「采女の袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く」があります。
采女は諸国から宮中に仕えた女性で、容姿端麗でなければいけなかった。
これは、その美しい采女をモチーフにした作品でありましょう。
美しい名品です。
鹿児島壽蔵 かごしまじゅぞう
1898 福岡県福岡市生まれ
1913 博多人形制作に従事する
1932 紙塑人形の制作を開始
1933 日本紙塑藝術研究所を創設
1936 帝展に入選
1961 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1982 逝去(享年84歳)
-創業八十周年記念特別展 Vol.1-
このたび黒田陶苑では、-陶の美を極める-岡部嶺男展を開催いたします。
今展は、「創業八十周年記念」特別展として行うもので、黒田陶苑とともに歩んだ陶芸家の中でも、特に印象深い人々を取りあげてゆく展覧会シリーズの第一弾として開催いたします。
岡部嶺男先生(1919~1900)は、2007年の東京国立近代美術館工芸館をはじめとした回顧展が全国各地で行われたこともありまして、その大きな功績が近年、再評価されてまいりました。
嶺男先生と私どもとは、昭和25年頃に知り合い親交を深め共に歩み、昭和30年代初頭には常設作家として、織部や志野などのうつわを多く取り扱うようになりました。
今回の展覧会では、岡部嶺男先生が遺された志野・瀬戸黒・織部・黄瀬戸、青瓷・窯変米色瓷など多岐に渡る作品の中から、八点の茶碗と十点の酒盃を取りあげて展観いたします。
鬼才と呼ばれた陶芸家の至高の神わざをご高覧ください。
陶苑・三階をリニューアルいたしました。
賑やかな銀座の一隅であることを忘れてしまう特別な空間で、岡部嶺男先生の名作をゆっくりとご高覧ください。
瀬戸黒茶碗
絵志野茶碗
窯変米色瓷盃
他、全18点出品いたします。
岡部嶺男 おかべみねお
1919 愛知県瀬戸市に生まれる(加藤唐九郎の長男)
1935 学校に通いながら家業に従事し、作陶を始める
1938 東京理科大学に入学
1940 大学を中退し入営。各地を転戦
1945 敗戦後、捕虜となる
1947 復員。愛知県豊田市平戸橋に移る
作陶を再開する
1954 日展北斗賞を受賞
1962 青瓷を始める
1965 紺綬褒章を受章
1968 愛知県日進に移る
1970 窯変米色瓷が完成
1978 病に倒れ半身不随になる。
加藤から岡部に改姓
1989 再起新作展を開催し新作を発表
1990 逝去(享年70歳)
若尾 誠さんの2年ぶりとなる個展を開催いたします。
30年以上にわたって、粉青瓷の魅力を伝え続けている若尾さんの新作は、今までにも増して、ふくよかで上質な質感を湛え、色調は名品の風格を漂わすものになっています。
新作の茶碗をはじめ、花器・酒器・うつわなど多数並びます。
粉青瓷茶碗
若尾 誠 Wakao Makoto
1959 岐阜県多治見市生まれ
1984 日本伝統工芸展入
2000 日本工芸会正会員
2009 東海伝統工芸展日本工芸会賞受賞
2011 岐阜県伝統文化継承功績者表彰
2012 美濃陶芸庄六賞茶碗展銅賞受賞
2015 美濃陶芸庄六賞茶碗展奨励賞受賞
現代茶陶展TOKI織部奨励賞受賞
金彩陶漆青海波茶碗
土、釉、漆。
それぞれの個性をお互いが引き立て合う境界域を探し出すことが、私の仕事です。
一期一会の美の琴線に触れられるように、作り続けたいと願っています。
菱田賢治
菱田賢治
1964 神奈川県横須賀生まれ
1989 東京藝術大学美術学部デザイン学科卒業
1991 東京藝術大学大学院修士課程修了 株式会社電通入社
2001 尾道大学芸術文化学部准教授就任
2008 静岡県伊豆熱川に工房を作り、制作を始める
2012 第1回黒田陶苑個展(以降、毎年開催)