武末日臣 個展 - 對馬より -

 

 

 

 

 

井戸徳利 / 井戸ぐい呑






このたび黒田陶苑では、武末日臣個展を開催させていただきます。

對馬に生れた武末日臣氏は、骨董趣味が高じて作陶を志すようになり、陶芸家となった現在でも、対岸の韓国へ度々渡り、李朝古窯を巡り、陶土や釉薬の調査研究を深めています。

今回の個展では、李朝写しの井戸やトトヤの茶碗や酒器、皿や小鉢などのうつわも多数出品されます。

ぜひご高覧くださいますようご案内申しあげます。

 

 





白瓷高脚皿 w19.1×h9.3cm


 



武末日臣 Takesue Hiomi

1955 長崎県上対馬町生まれ

1989 韓国で古窯調査を始める

1994 對馬に工房を作り、制作を開始

1996 個展での作品発表を始める

2017 第7回 黒田陶苑 個展

 



 

山口真人 個展 - 琳派織部 -

 

 

 

 

 

織部手付注器 h13.1×w18.8×d10.3cm


毎年恒例になりました山口真人個展を開催させていただきます。

志野や織部など瀬戸伝統のやきものを研究し、現代の生活に適う作風を進化させ展開する山口さんは、瀬戸の陶芸界の中でもっとも精力的に活動をされています。

今回の個展では、昨年より手がけている「琳派織部」の新作に絞りこみ、個展発表に挑みます。

琳派織部と題された新作シリーズは、素地に青海波の地文様を施し、細筆を使って文様を描くなど、時間をかけて作りあげられた作品です。

ぜひご高覧くださいますようご案内申しあげます。

 

 




 山口真人 Makoto Yamaguchi

1978 愛知県瀬戸市出身

    江戸時代末から続く瀬戸の

    窯元・西山窯の六代目当主

 

特集 - 陶芸巨匠の茶碗




このたび黒田陶苑3階特別室では、物故陶芸巨匠の方々の茶碗を特集し展観いたします。

個性的でありながら、格調高く、気品を漂わす名碗の数々をぜひご高覧ください。

 

「展示作家」
荒川豊藏・石黒宗麿・岡部嶺男・加藤唐九郎・加守田章二・河井寛次郎・川喜田半泥子・北大路魯山人・鈴木 治・中里無庵・バーナードリーチ・藤本能道・三輪休雪・他

彩文土器 展

 

 

 

 

 

彩文神獣図深鉢 インカ文明 南アメリカ西岸 15~16世紀




このたび黒田陶苑では、中南米を中心とした彩文土器を集めた展覧会を開催させていただきます。

中国・朝鮮半島・日本などの古代土器は、青銅器・鉄器などの金属器や陶磁器に転換され中世以前に消滅してゆきましたが、中南米では原料や風土の関係により製鉄や高火度焼成の技術が発達せず、土器の製造が中世以降も続けられていました。
そのため、年代や文化・地域で独自に発達した様式や文様などが、さまざまに展開され、進化を遂げました。しかし、文明すべてを破壊される戦乱も多くあり、柔らかい土器の性質から現存する作品は、限られているることでも知られています。

彩文土器の文様や形状は、ユニークで愛らしいものが多く、飾って愉しめるコレクションとして秀逸で、このたびはじめてご紹介させていただきます。

この機会に、異文化に触れてみてはいかがでございましょうか。

 





彩文雨神面図四足鉢 マヤ文明 中央アメリカ 7~8世紀

 



加守田章二 黒茶碗

 

加守田章二先生の茶碗は稀少ですが、今回ご紹介いたします黒釉茶碗は、他に類を見ない作品です。
益子で制作していた時代の最後期にあたる1967年に制作されたこの茶碗は、造形厳しく鋭い造形で作られ、それまでの灰釉の作品とは一線を画す作品になっています。
見込につけられた目跡や造形には、加守田の強い創造意識が感じられて、当時、全盛を誇った民藝思想からの脱却を目指した作品のように感じます。

1968年に岩手・遠野へ制作拠点を移す加守田章二。

美しい黒釉に完璧な轆轤造形、これは民藝の地・益子との決別を表しているように思えます。

1999年に益子メッセで開催された加守田章二回顧展に出品された作品です。

 


 

加守田章二 かもだしょうじ

1933 大阪府岸和田市に生まれる
1952 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学
1956 京都市立美術大学卒業。茨城日立に移り製陶所に勤務
1959 栃木県益子に移り制作を開始
1962 穴窯での灰釉作品の制作が始まる
1965 灰釉作品が注目される
1966 日本陶磁協会賞を受賞
1967 高村光太郎賞を受賞
1969 岩手県遠野に移り、その後作品は毎年変化していく
1970 [曲線彫文]を発表
1971 [彩色]を発表
1974 [陶板展](銀座 黒田陶苑)以後毎年出品
1979 東京東久留米に工房を移す
1983 逝去(享年49歳)


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北大路魯山人 志野グイノミ 五

 

北大路魯山人が、作陶の初期から最晩年期までを通して制作を続けていた志野焼は、当初の僅かに緋色が現れた乳白色のものから次第に赤味を増し、最終的には赤色と白色のコントラストが美しい作品へと劇的ともいえるほどの変貌を遂げてゆきました。

桃山時代に起源をもつ志野焼は、江戸時代以降の肥前地方で磁器の大量生産が始まるまで、日本にはそれまでに無かった「白いやきもの」として、大陸から舶来される稀少で高価な中国磁器の代用としても珍重され後世には、日本オリジナルの今焼・国焼きの代表格に据えられることになりました。

北大路魯山人は、志野に取りくみ始めた頃には、一般に志野焼に使用される白いモグサ土を使って制作していた時期もありましたが、料理を盛り付ける為の実用的な器には不都合が多い性質の土であることから、肌理が細かく上質な信楽産の赤土を用いるようになります。

そのこともあって、魯山人が作る志野焼には、徐々に赤味がついてゆき、その偶然を魯山人は見逃すことなく、より強烈で炎が舞うような赤味を求め、研究を重ねて、新しい手法でもって、それまでに無かった「赤志野・紅志野」を作りあげることに成功しました。

この作品「志野グイノミ五」は、魯山人の最晩年期に制作された紅志野のぐい呑です。この時期の志野ぐい呑は、高台が糸底のベタ高台が多いことで知られていますが、この作品は、しっかりとした高台が付けられており、さらに絵柄・形状・焼き上がりがすべて違うものを一つの箱に収めており、魯山人のその当時のこの作品への思い入れが伝わるものになっております。

さらに特筆すべきは、その作品のサイズで、どれも大きく大振りに作られ、他のぐい呑には見られない迫力を感じます。五つの個性がそれぞれに籠められて、五つ揃ってはじめて、この作品の濃厚で芳醇な魅力が花咲きます。

史上希有な一品をぜひお試しください。

 


 

北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)

 

 

鈴木伸治 個展

 

 

 

鈴木伸治 志野掛分茶碗




憧れが昂じて、昭和志野の再興をひとり目論み、さらに

陶芸巨匠たちが目指した陶の美の本質・深淵を探り続ける鈴木伸治さん。

異色の陶芸家は不惑を迎え、ますます陶技の腕に磨き

をかけて、平成の名碗作りに挑んでいます。

ぜひ、ご高覧ください。




鈴木伸治

1976年 岐阜県岐阜市生まれ

2000年 多治見市陶磁器意匠研究所卒業

2001年 多治見市に工房を作り、制作を始める

2007年 第一回個展(以降、毎年開催)