今井完眞 個展




このたび黒田陶苑では、今井完眞さんの新作個展を開催いたします。

今井完眞は、陶芸のスーパーリアリズムの世界を切り拓く、美術界でも注目されている陶芸家です。
第3回となる今回の展覧会では、大学時代から手掛けている「海洋生物」特に、ワタリガニをモチーフにした作品を展開いたします。
今にも動きだしそうな、匂いまでも感じさせるそのリアリズムは、かつて感じたことのない超絶の感動を実体験することになります。
今までに見たことのないものをご覧いただき、日本陶芸のさらなる可能性をご実感ください。

 

 



ワタリガニ 2種







ワタリガニ


今井完眞  Sadamasa Imai

1989 京都市生まれ
2013 東京藝術大学 美術学部工芸科陶芸講座 卒業
2015  東京藝術大学大学院 美術研究科陶芸専攻 修了
2017 第3回黒田陶苑個展

 


 

 

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イバタカツエ 個展

 


2年前から、作家名を本名の漢字からカタカナにして、活動しています。

以前から知り合いの黒田佳雄さんと昔話しをしていた時に思いついた「色絵」を今回の個展で初めてためしてみました。
「もっと過激に」と黒田氏は言いますが、これが今の私です。              

イバタカツエ








龍の皿






松の皿/白黒水玉湯呑










イバタカツエ    Katsue Ibata

1977 奈良芸術短期大学陶芸科卒業
1985 愛知県常滑で陶芸を始める
    陶芸家・鯉江良二との交流が始まる
1990 浜松に移る
1991 第1回黒田陶苑個展
2015 作家名を井畑勝江からイバタカツエとする

 





 

 

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濱田庄司 柿釉青流扁壺のこと

濱田庄司 柿釉青流扁壺のこと

「(英国生活で感じた文化である)ハイカラをそのまま受け取る気にはなりません。もうそのハイカラよりも一つ先の文化が、そろそろ来なければならない時期のように信じられます。そして当然、その文化には東洋が直接間接主要の役目を果たさなければならない意義があると思う。」
助手としてバーナード・リーチに乞われ渡英した26歳の濱田庄司。イギリスで異文化に触れたことによって、その後の濱田藝術を形成することになりました。
自らも陶芸家として大きく羽ばたく契機になった、柳宗悦による民藝運動を強力に推し進めた濱田庄司。日本の陶芸界の巨人となった濱田は、戦後にはオリジナリティを強調した作風を展開。イギリスで思いを馳せた「ハイカラのその先の文化の創造」を実践するかのように、伝統技法を駆使して装飾的・デザイン性豊かな作風を次々と発表してゆきます。
この作品は、威風堂々とした形状を持ち、赤味のある茶褐色の柿釉の上に、濱田庄司が「青」と呼ぶ緑釉を流し掛けしています。
黒色から茶褐色への釉薬変化に見どころがあり、緑釉の発色も理想的な仕上がりの逸品。
表裏の流し掛け文様の違いもあって装飾性を兼ねそなえたお洒落作品で、身近に飾って楽しめる濱田庄司の一品です。

 

辻 晋堂 陶彫「西行」

 

彫刻家・辻 晉堂-その活動は現代陶芸に大きな影響を与えました-

1910(明治43)年に鳥取県伯耆町で生まれた辻晉堂は21歳の時、油絵を学ぶため上京。独立美術研究所で絵画を学びながら独学で彫刻を始めた。立体造形の才能を発揮し、23歳の時、日本美術院展に出品した写実を極めた木彫作品が入選。25歳で異例の速さで院友に推挙され、木彫・彫刻家として確固たる地位を築いて活動を続け、その後、日本美術院が平櫛田中の古稀記念の肖像制作を企画した際には、30歳の若い辻晉堂にその制作を一任されるほどに実力もつけていた。

戦後、1949(昭和24)年に京都市立美術大学の教授に就任した以降、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、作品が劇的に変化した。1953年に盟友となる八木一夫と出会い、八木から陶芸手法を得て、さらに京都美大が京都東山の蛇ヶ谷という京焼・清水焼を生産する窯業地に隣接していたことで、陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」の作風に転換した。

八木一夫はそれまで、轆轤で作った壺や花入などの規定の器物に、海外の著名な画家が描く絵画をデザインにした絵付けを施す作風だったものが、辻と出会ったことにより、手びねりを多用する抽象造形の辻スタイルの作風に激変し、八木の初期の代表作といわれる「ザムザ氏の散歩」(1954年)が生まれたのであった。

のちに辻と八木は、同じ京都美大の教授仲間として、お互いを触発する仲となり、彫刻家と陶芸家のその違う立ち位置のなかで同じ方向を向き、8歳上の辻に八木は敬意を表しつつ、切磋琢磨し続けていった。

陶芸による造形作家集団の走泥社を率いた八木一夫は、辻晉堂スタイル「手びねりによる抽象造形」を推し進め、結果的に、戦後の現代陶芸に新しいジャンルを作り、革新をもたらすことになりました。現在でもその系譜は連綿と続き、未来へと引き継がれてゆくことになるでしょう。

 

-旅の途中、富士を眺めて一服-

この陶彫「西行」は、辻晉堂66歳の作品で、この年、辻は京都美大を定年退官しています。富士見西行を題材にした作品は数少なく、28歳で得度出家した自らを西行法師の生きざまと重ね合わせ、作品にしたかのように思われます。

 

 


辻 晋堂 Shindo Tsuji

1910 鳥取県伯耆町生まれ
1949 京都市立美術大学教授就任
1978 京都市文化功労者
1981 逝去(享年71歳)


 

荒川豊藏 黄瀬戸徳利

 

 

志野・瀬戸黒の技術によって人間国宝の陶芸巨匠として、戦後の美術界を牽引し、美術文化を発展させた功績などにより、1971年に文化勲章を受章した荒川豊藏。
長年使用した穴窯の不調もあって、晩年期には各地の陶芸家を訪ねては、その地に滞在して作品制作。唐津・萩・備前・丹波などで制作した作品を多く残しています。

この黄瀬戸徳利は、83歳の時に制作した作品で、1977年の個展に出品されたものです。朽葉色が特徴の豊藏黄瀬戸の釉調が美しく、円熟した妙味があり品格の高い作品に仕上がっています。

焦げて失透した部分・よく焼けた証拠である透明感ある部分、ヘラ目など見どころが多く、美的に均整のとれた一品になっております。高台部分には、高温による溶着跡を敢えて残しあり、陶芸のダイナミズムに魅了いたします。

内箱・外箱ともに、当時の状態を保っており、箱書きは最晩年期に使った「斗出庵」が記されています。

 


 

荒川豊蔵 あらかわとよぞう

1894 岐阜県多治見に生まれる
1922 京都に移り、宮永東山窯の工場長を務める
         北大路魯山人に出会う
1927 鎌倉に移り、魯山人の星岡窯に勤務
1933 星岡窯を辞し、美濃大萱牟田洞に移り作品制作を始める
1941 初個展(梅田阪急・当苑主催)
1946 多治見・虎渓山に食器製造目的の水月窯を創設
1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1960 宗達下絵光悦筆[三十六歌仙和歌巻](重要文化財)を購入
1971 文化勲章を受章
1977 随筆集[縁に随う]刊行
1985 逝去(享年91歳)


 


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