荒川豊藏 志野鉦鉢

荒川豊藏先生の志野の鉦鉢です。
鉦鉢は、どらばち・しょうばちと読み、縁が直角に立ち上がった形状のものをいいます。いわゆる銅鑼(どら)の形からきています。

この作品は、前所有者の箱の張り紙に昭和35年4月とありますが、作品の作風からみると1950年代の作品だと考えています。

この作品は、茶碗作りの印象が強い荒川豊藏先生の作品の中でも珍しい作品ですが、実は荒川の本性はこのような桃山時代の倣古・古典的な作風にこそ神髄があると思わせる鬼気迫る迫力をこの作品は有しています。

 

荒川豊蔵 あらかわとよぞう

1894 岐阜県多治見に生まれる
1922 京都に移り、宮永東山窯の工場長を務める
         北大路魯山人に出会う
1927 鎌倉に移り、魯山人の星岡窯に勤務
1933 星岡窯を辞し、美濃大萱牟田洞に移り作品制作を始める
1941 初個展(梅田阪急・当苑主催)
1946 多治見・虎渓山に食器製造目的の水月窯を創設
1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1960 宗達下絵光悦筆[三十六歌仙和歌巻](重要文化財)を購入
1971 文化勲章を受章
1977 随筆集[縁に随う]刊行
1985 逝去(享年91歳)

小山冨士夫 花酒觴

 

小山冨士夫 こやまふじお

 

1900 岡山県倉敷に生まれる

1920 一橋大学に入学

1925 瀬戸に移り矢野陶々に弟子入り

1926 京都の真清水蔵六に弟子入り

1927 陶芸家を志す

1932 古陶磁研究誌の編集員になる

1933 文部省嘱託の重要美術品等調査員になる

1946 日本陶磁協会が発足、理事となる

1952 文化財保護委員会事務局無形文化課に就く

1961 [永仁の壷事件]で文化財保護委員会を辞職

1966 鎌倉に築窯、再び作陶活動を開始

1967 日本工芸会理事長に就任

1973 岐阜県土岐市に移り、花の木窯を創設

1975 逝去(享年75歳)

石黒宗麿 信楽写杯

 

石黒宗麿 いしぐろむねまろ

 

1893 富山県新湊に生まれる

1918 国宝・曜変天目茶碗を見て感動し、陶芸家を志す

1919 東京で陶芸制作を始める。その後各地に転居を繰り返す

1927 京都東山蛇ヶ谷に移る。盟友となる小山冨士夫を知る

1935 京都洛北八瀬に窯を築く

1937 パリ万国博覧会に出品し銀賞受賞

1941 [石黒宗麿作陶展観](銀座 黒田陶苑)

1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される

荒川豊蔵、加藤唐九郎らと[日本工芸会]を結成

1963 紫綬褒章を受章

1968 逝去(享年75歳)

Munemaro Ishiguro 石黒宗麿
1893 Born in Shinminato, Toyama prefecture.
1918 Impressed by the National treasure, Yohen Tenmoku tea bowl. 
         Aspired to be a ceramist.
1919 Began ceramics in Tokyo. Moved around Japan several times.
1927 Moved to Higashiyama Jagadani, Kyoto prefecture.
         Met Fujio Koyama, who would become a sworn friend afterwards.
1935 Built a studio in Yase Rakuhoku, Kyoto.
1937 Won a Silver prize at the Paris Universal Exposition.
1941 The first exhibition at Ginza Kuroda Touen.
1955 Designated as a Living National Treasure.
         Organized ‘Nihon Kogei Kai’ (the Japan Art Crafts Association) with 
         Toyozo Arakawa and Tokuro Kato.
1963 Received Medal with Dark Blue Ribbon.
1968 Passed away at the age of 75.

加藤唐九郎 信楽ぐいのみ

 

加藤唐九郎 かとうとうくろう

 

1898 愛知県瀬戸市に生まれる

1914 製陶業を始める

1933 随筆「黄瀬戸」を刊行

1934「陶器大辞典」を刊行

1935 名古屋市守山区翠松園に移る

1950 戦後初個展[瀬戸黒茶わん展]開催(銀座 黒田陶苑)

1952 無形文化財有資格者に認定される

1953 [新作陶芸展]開催。初めて黄瀬戸を発表(銀座 黒田陶苑)

1954 桃里会に参加

1955 荒川豊蔵、石黒宗麿らと「日本工芸会」を結成

1960 永仁の壷事件起こる

1961 一無斎の号を得る

1964 [東京オリンピック記念・加藤唐九郎陶芸展]を開催

1969 志野茶碗「鬼ケ島」完成

1972 原色陶器大辞典を刊行

1982 最後の個展[加藤唐九郎の世界展]を開催

1985 逝去(享年87歳)

北大路魯山人 備前さけのみ 銀彩

 

北大路魯山人先生の鎌倉で制作された備前焼のぐい呑です。
この作品は、銀彩が施されている稀少なものです。

 


北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)

 

岡部嶺男 織部盃

 

岡部嶺男 おかべみねお

 

1919 愛知県瀬戸市に生まれる(加藤唐九郎の長男)

1938 東京理科大学に入学

1940 大学を中退し入営。各地を転戦

1945 敗戦後、捕虜となる

1947 復員。愛知県豊田市平戸橋に移る

   作陶を再開する

1954 日展北斗賞を受賞

1962 青瓷を始める

1965 紺綬褒章を受章

1968 愛知県日進に移る

1970 窯変米色瓷が完成

1978 病に倒れ半身不随になる。加藤から岡部に改姓

1989 再起新作展を開催し新作を発表

1990 逝去(享年70歳)

2011 没後20年回顧展[宿命-岡部嶺男展](銀座 黒田陶苑)

中里無庵 斑唐津皮鯨ぐい呑


中里無庵 なかざとむあん

1895 佐賀県唐津市生まれ(11代中里太郎衛門の次男)
1914 家業に従事。桃山時代の古唐津の技法などの研究を始める
1927 12代中里太郎衛門を襲名
1966 紫綬褒章を受章
1969 勲四等瑞宝章を受章
   京都大徳寺で得度し法名・宗白を授かり、号・無庵を名乗る
   家督を長男に譲る
1976 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1985 逝去(享年89歳)