平成6年に開催された「人間国宝 松井康成康成練上の美展」(朝日新聞社主催)に出品された作品。細かく裂けたような皺が特徴的。命名どおりにシルクロードをイメージした作品である。
松井康成 まついこうせい
1927 長野県に生まれる
1955 田村耕一に師事
1973 [現代工芸の鳥撤展]に招待出品
1980 [現代陶芸百選展]招待出品
1988 紫綬褒章を受章
1992 個展[陶筥展](銀座 黒田陶苑)
1993 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
2003 逝去(享年77歳)
平成6年に開催された「人間国宝 松井康成康成練上の美展」(朝日新聞社主催)に出品された作品。細かく裂けたような皺が特徴的。命名どおりにシルクロードをイメージした作品である。
松井康成 まついこうせい
1927 長野県に生まれる
1955 田村耕一に師事
1973 [現代工芸の鳥撤展]に招待出品
1980 [現代陶芸百選展]招待出品
1988 紫綬褒章を受章
1992 個展[陶筥展](銀座 黒田陶苑)
1993 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
2003 逝去(享年77歳)
藤原 啓 ふじわらけい
1899 岡山県に生まれる
1918 文筆業を志し上京する
1937 文筆業を断念。郷里へ戻り、備前焼を始める
1941 金重陶陽に指導を受け、陶芸家として独立
1956 日本工芸会正会員になる
1958 日本工芸会理事になる
1970 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1977 藤原啓記念館が完成
1983 逝去(享年84歳)
晩年の濱田庄司が沖縄に滞在し制作した茶碗。喜寿の箱書きがあります。
濱田庄司 はまだしょうじ
1894 神奈川県川崎市に生まれる
1916 東京高等工業学校窯業科卒業
京都市陶磁器試験場へ入所
1920 バーナードリーチの誘いで渡英
1924 帰国後、沖縄・京都などに滞在する
1926 柳宗悦・河井寛次郎らと民芸運動を起こす
1931 栃木県益子の住居に登窯を築く
1942 古民家を移築し、陶房兼住居とする
1955 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1968 文化勲章を受勲
1978 逝去(享年84歳)
田村耕一 たむらこういち
1918 栃木県佐野市に生まれる
1941 東京美術学校工芸科図案部を卒業
1946 富本憲吉に師事
1949 帰郷し作陶をはじめる
1950 栃木県窯業指導所に技官として勤務
1960 日本伝統工芸展に入選し奨励賞を受賞
1968 日本工芸会常任理事に就任
1976 日本陶磁協会賞金賞を受賞
1977 東京藝術大学美術学部教授に就任
1980 日本工芸会陶芸部会長に就任
1983 紫綬褒章を受章
1985 個展[鉄絵銅彩の美展](銀座 黒田陶苑)
1986 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1987 逝去(享年68歳)
清水卯一 しみずういち
1926 京都市東山に生まれる
1940 石黒宗麿に師事
1962 プラハ国際陶芸展で金賞を受賞
1970 滋賀県蓬莱山麓に蓬莱窯を開窯
1977 日本陶磁協会賞金賞を受賞
1979 日本工芸会常任理事に就任
1983 蓬莱・清水卯一作陶展(銀座・黒田陶苑)
1985 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1986 紫綬褒章を受章
1987 日本工芸会陶芸部会長に就任
1988 京都府文化功労賞を受賞、日本工芸会副理事長に就任
2004 逝去(享年77歳)
近藤悠三が好んで作った瓢箪型の花器の中でも大きな作品。純金に染付の藍色が印象的に映えています。
近藤悠三 こんどうゆうぞう
1902 京都市に生まれる
1917 京都市立陶磁器試験所に勤務
1924 京都市清水坂に移り作陶をはじめる
1928 帝展に入選
1955 日本工芸会陶芸部会長に就任
1969 京都市立美術大学学長に就任
1970 紫綬褒章を受章
1974 京都府美術工芸功労者賞を受賞
1977 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1985 逝去(享年83歳)
楠部彌弌 くすべやいち
1897 京都市東山に生まれる
1912 京都陶磁器試験場付属伝習所入所
1918 京都三条で作陶をはじめる
1920 作陶家集団[赤土社]を結成
1924 パリ万国博覧会に出品し受賞
1927 帝展初入選
1937 彩延技法が完成(延は、土ヘンに延)
1938 京都岡崎に住居・工房を移す
1962 日本芸術院会員となる
1965 京都山科に工房を移す
1969 京都市文化功労者となる
1972 毎日芸術賞受賞
文化功労者となる
1975 京都市名誉市民となる
1978 文化勲章を受勲
1984 逝去(享年87歳)