瀧川恵美子 個展 -うつわ-

 

このたび、黒田陶苑では瀧川恵美子さんの個展を開催いたします。
古典・古陶磁を規範としながらも、現代の生活に似合う、使えるうつわを作り続けている瀧川さん。
実用に堪え、しかも桃山気分までも味わうことができるうつわは、
瀧川さんが丹精こめて作ったもの以外に見当たらず、なにより瀧川さんの志野は使う
ことによって得られる味わい深い趣きを愉しめる。
美的で実用的で上質で、一つからでも買える瀧川さんのうつわをぜひお試しいただきたく存じます。                
                                   黒田佳雄

 

 


 

 


志野千鳥文向付

 

 

 

 


鼠志野徳利

 

 

 

 


志野草花文四方向付

 

 

 

 

 


鼠志野向付

 

 

 

 


志野草文猪口

 

 

 

 

 

 


 

 

瀧川恵美子    Takikawa Emiko

1956   愛知県豊川市生まれ
1977   多治見工業高校専攻科修了
1990   製陶所勤務後、独立。制作を開始
2006   岐阜県土岐市に工房設置
2011   第一回個展(銀座 黒田陶苑) 以降毎年開催

 

 


 

facebook

Twitter

Instagram

www.kurodatouen.com




日本の天目のこと

日本の天目のこと

- はじめに -

現代の日本では、おもに「曜変天目」「油滴天目」「禾目天目」「木の葉天目」「玳皮天目」の五種類の茶碗を総称して「天目」もしくは「天目茶碗」と呼ばれています。他に「灰被天目」「柿天目」「兎毫盞」「烏盞」「星天目」など古くから伝わる名称も存在しますが一般的ではなく、専門用語として使われており、美術館図録などで目にする程度になっています。
天目を制作する陶芸家のことを「天目作家」と呼び、天目作家のほとんどが「曜変天目」を最高位として位置づけ、その再現を目標として日々の研究を重ねながら、それぞれが独自の「天目」の制作を続けています。

 

- 日本の天目の起源 -

12世紀以降に中国の建窯を中心に作られた天目茶碗は、鎌倉時代(13世紀の初め)に喫茶の風習が伝えられると共に日本に輸入され各地の禅宗の寺院で儀式などに用いられていました。その後、喫茶の風習が武家にまで広まったことで天目茶碗の需要が増え、それを補うために、鎌倉時代末期(14世紀初め)に、愛知県瀬戸で日本の天目茶碗が作られ始めました。
桃山時代(16世紀)になり、千 利休(1522~1591)が「茶の湯」を大成して、日本独自の喫茶文化が確立したことにより、使用される茶碗の種類が多様化して、天目茶碗の製造は次第に減少してゆきました。江戸時代(17世紀中頃)には、京都の野々村仁清が、個人作家として初めて天目茶碗を制作しました。

 

- 大国へのあこがれ -

明治時代(1800年代)~昭和時代初め(1930年頃)、日本では中国趣味が流行し、実業家・財閥家による陶磁器などの中国の美術品の蒐集が盛んに行われていました。
現在、国宝に指定されている曜変天目茶碗(静嘉堂文庫美術館・所蔵)が、1918年(大正7年)に東京で行われたオークションに出品され、当時の日本国内最高額で落札された他、現在、国宝や重要文化財に指定されている陶磁器や宋元時代の絵画や書など多くの中国美術品が高額で取引きされた時代でした。

 

- 河井寛次郎と石黒宗麿 -

昭和時代(20世紀)以降の日本の天目のキーパーソンには、河井寛次郎(1890~1966)と石黒宗麿(1893~1971)の二人の偉大な陶芸家が挙げられます。
島根県生まれの河井寛次郎が、京都で陶芸家として活動し始めたのが1915年で、中国趣味の時代と重なり、当時の京都の陶芸家や陶工は、需要の高かった中国陶磁器の倣作品の技術を競い合っていた時代でした。河井は、卓抜した技術と天才的な感覚で、青瓷や天目・辰砂・三彩などを見事に再現し、さらに確かな作陶技術に裏付けられた独創的な作品も制作し、まだ20歳代後半の若手作家にも関わらず、大きな名声を得てスターダムにのし上がりました。特に河井は、釉薬の研究に成果を上げ、天目などの釉薬の基礎を作り、その後の陶芸家は、河井がつくりあげた天目釉の調合を基本にしています。
富山県生まれの石黒宗麿は、1918年に東京で偶然立ち寄ったオークションの下見会で、曜変天目茶碗を目にします。その神秘的な美しさに深く感動し、「これが人の手によるものならば、自分も作ってみよう」と25歳で陶芸家を志し、陶芸修業などで各地を転々とした後、34歳の時、京都に工房を構えて、曜変天目の再現を目指し本格的に陶芸家としてスタートしました。石黒宗麿は「曜変天目は、窯の中の偶然によって現れたのではない」と設定し、最新の窯業・化学技術を駆使して曜変天目の再現を試みました。結果的に曜変天目の再現の夢は果たせませんでしたが、木の葉天目の忠実再現を含めた天目釉の永年の研究により「鉄釉陶器」の国指定重要無形文化財(人間国宝)にまで登りつめました。名作の数々を残しつつ、後進の指導にも熱心にあたり、その結果として、天目作家が京都を中心に全国で生まれてゆくことになりました。

 

- 戦後日本の天目 -

河井寛次郎と石黒宗麿が作り上げた現代日本の天目は、1950年代以降、京都を中心に瀬戸や有田などの窯業地で活動する陶芸家たちも作るようになり、天目釉から変化した黒釉や鉄釉も流行し、茶碗だけでなく花器や食器など多様化してゆきました。
石黒宗麿に指導を受けた清水卯一(1926~2004)が、この時代の天目を先導し、戦後復興の経済発展による好景気の追い風もあり、青木龍山(有田)・木村盛和(京都)・加藤孝俊(瀬戸)・鎌田幸二(京都)・初代 長江惣吉(瀬戸)など多くの陶芸家が各地で多様な天目作品を作り活躍していました。しかし、栄華を誇っていた日本の陶芸界は、1990年代になると日本経済の低迷により失速。茶道の衰退も始まり、天目作家は苦境に立たされ、天目だけでなく他種の作品も手掛けるようになってゆきました。現在では、天目だけを作る陶芸家は少なくなってきています。

 

- 曜変天目の再現 -

21世紀になり日本の陶芸界は新しい局面を迎え、古陶磁の再現を目指す指向が強くなってゆきます。桃山時代の志野・織部・黄瀬戸・唐津や、李氏朝鮮時代の井戸茶碗や高麗茶碗、備前・信楽などの古陶を忠実に再現する陶芸家が現れました。
天目作家は、曜変天目の再現に特化するようになってゆきます。林 恭助(1962~ )や長江惣吉(1963~ )、瀬戸毅己(1958~ )、桶谷 寧(1968~ )などが、それぞれの独自の技法で、静嘉堂文庫美術館の国宝・曜変天目茶碗の再現を試みています。
林や長江、瀬戸の三人は、石黒宗麿が近代の窯業・化学技術を駆使して曜変天目の再現を試みたように最新技術を導入しているのに対し、桶谷は中国・南宋時代の古代の技術・技法を探求しその解明を続け、数千・数万点の中から究極の1点を取りあげるという中国・南宋時代の制作方法に着目し、ついには最も困難と云われていた曜変天目の再現に成功しています。

 

- 天目の未来 -

桶谷 寧が成功した曜変天目の再現は、コレクターに大きなインパクトを与えました。
日本の天目の未来は、究極の一碗を求めるようになった国内外のコレクターの確かな審美眼が担っています。
中国・南宋時代に作られた日本の国宝・曜変天目茶碗(静嘉堂文庫美術館藏)・油滴天目茶碗(大阪東洋陶磁美術館藏)を超越するものを作れる陶芸家が現れることを待つしかありません。

 



石黒宗麿 木の葉天目碗

 

 


桶谷 寧 曜変天目茶碗

 

 

原 憲司 個展 -美濃高麗-

 

このたび黒田陶苑では、原 憲司先生の個展を開催いたします。
今回、原先生が掲げられた個展のテーマは、「美濃高麗-みのこうらい」です。
「井戸茶碗がもし、桃山時代の美濃で作られていたら」と仮定し、美濃の土石や
樹木の灰を使って、高麗・井戸風茶碗の制作を試みました。
美濃高麗茶碗の他には、黄瀬戸や鼠志野などの上質を極めた酒器・うつわ等を展観いたします。
ぜひご高覧くださいますようご案内申しあげます。

 

 


 

 


美濃高麗茶碗

 

 

 

 


美濃高麗茶碗(高台)

 

 


 

原 憲司 Hara Kenji

1947  東京生まれ
1969  陶芸家・加藤卓男に師事
1982  独立
    桃山陶・黄瀬戸を中心に制作
2005  黒田陶苑にて第1回個展

 


 

facebook

Twitter

Instagram

www.kurodatouen.com




加守田章二 灰釉壺のこと

 

現代陶芸の鬼才と呼ばれた加守田章二は大阪岸和田に生れ、京都市立美術大学では富本憲吉の薫陶をうけ、卒業後、茨城日立の製陶所勤務を経て、学生時代からの憧れの地でありかねてからの念願であった陶郷・益子での作陶活動を開始しました。
この陶芸家としての出発は、1959年の春のことで、1969年に岩手遠野に移るまでの10年余り、益子を制作の拠点としていました。その益子時代の作風は「灰釉陶器」を中心とし、古代土器・須恵器・中世の古陶などを意識したものが多く、それは加守田が原始と現代とのゆるやかな調和を自らの表現の目標にしたことに由来いたします。特に、加守田の益子時代中期(1965年頃)の作品のなかに、濃緑色の灰釉が掛けられたものがあり、それらは中世の猿投や常滑などにルーツを見ることができます。
この一連の作品の世評により加守田章二は、一躍脚光を浴び、「至上最高の灰釉」とも絶賛され、当時の日本の美術界において栄誉ある高村光太郎賞の受賞へと結実してゆきました。
この作品は、加守田の灰釉作品の特徴が随所に見てとれる美しい球形の壺です。
轆轤成形し素焼きの後、灰釉を施し、半地下式穴窯で強
火力焼成する手法は、当時は実験的なことでもあり、失敗や完成を見ない作品が多く存在しましたが、この作品は、加守田が理想としたものに仕上がっています。
壺の肩部から流れた濃緑色の灰釉が古風ですが、美しい造形の壺に協調し、古めかしさが排除された現代的で新鮮な強さが作品を支配している一品です。

 

桶谷 寧 陶芸展 -曜変の美-

 

 

このたび黒田陶苑では、桶谷 寧 陶芸展を開催いたします。
桶谷氏は曜変天目の第一人者として、その完全再現に向け、あくなき挑戦を続ける毎日を過ごされています。
今回は、最新作の曜変天目茶碗2点に加え、油滴天目・禾目天目などの天目茶碗・酒盃を展観いたします。
この機会にぜひご自身の掌の上で、曜変の美をお確かめください。

 

 

 


 

 


曜変天目茶碗

 

 


 

桶谷 寧  Yasushi Oketani


1968年  京都出身
1990年  関西大学工学部卒業
1996年  曜変天目の試作に成功
2001年  曜変天目が完成
2003年  第一回個展(銀座 黒田陶苑)
     以降、定期的に開催

 

 


 

facebook

Twitter

Instagram

www.kurodatouen.com