塚本快示 青白磁盃

白磁・青白磁の高い技術により人間国宝の認定を受けた塚本快示先生の青白磁の馬上盃です。
今から50年以上前の1960年代中頃の作品です。

名門製陶所の後継者で職人気質の塚本先生は、小山富士夫に出会ってから、心機一転、陶芸家を志して活動を始めます。
塚本快示が最初に手掛けたものは青白磁で、それは小山富士夫の影響が強く、特にこの作品は小山富士夫先生が手取足取りの熱血指導のもとに出来上がったかのような作品に思えます。
純白の磁土に透明感のある青白磁をたっぷりと掛けたこの作品の見込みは、何度も覗き込みたくなるほど美しい。
小山師直伝の少し遊びを加えた轆轤さばきも見どころになっています。夏の冷酒を楽しむ盃です。
サインは釉下に隠れて見当たりませんが清く正しい作品です。


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塚本快示 | Kaiji Tsukamoto

1912 
岐阜県土岐市に生まれる
1933 
家業の製陶業に従事
1943 
小山冨士夫に影響をうけ青白磁を始める
1965 
日本伝統工芸展会長賞受賞
1973 
岐阜県無形文化財指定
1977 
紫綬褒章受章
1983 
重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定される
1984 
勲四等旭日章受章
1990 
逝去(享年77歳)


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北大路魯山人 黄瀬戸六角形ぐい呑

今から100年ほど前に作られた北大路魯山人先生のぐい呑です。

魯山人先生が経営されていた高級料亭・星岡茶寮で使用するために作られたものです。
桃山時代の黄瀬戸六角ぐい呑をモチーフにした作品で、形状は小さい作品ながらも緊張感を持ち古格を湛えています。
直線的な六角形ではなく、内側に張り込ませた面の作りは実に見事。こんな小さな作品にまで、神経を行き届かせる魯山人先生の美意識は尋常ではない。さすがです。
高台内に星をデザイン化したサインが釘彫りされています。


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北大路魯山人 | Rosanjin Kitaoji

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する[美食倶楽部]を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭[星岡茶寮]を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所[星岡窯]を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
[星岡窯]は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)


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加藤卓男 青釉胡姫文酒杯

人間国宝・加藤卓男先生が最晩年のぐい呑です。
青釉が極めて濃く発色しており、長年にわたり研究されてきた青釉の集大成を思わせる作品になっています。


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加藤卓男 | Takuo Kato

1917
岐阜県多治見市に生まれる
五代加藤幸兵衛の長男
1961
フィンランド工芸美術学校修了
1963
日展特選北斗賞を受賞
1980
宮内庁より正倉院三彩の復元制作を委嘱される
1983
多治見市と岐阜県の重要無形文化財技術保持者に認定
1991
日本陶磁協会賞金賞受賞
1995
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
2005
逝去(享年87歳)


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加守田章二 灰釉盃

陶芸の鬼才と呼ばれた加守田章二先生。
この作品は1962年頃のぐい呑で、中世の古陶のような焼き上がりをしています。
加守田先生の灰釉といえば、透明感のある深い緑色をした釉がかかるものを想像しますが、これは最初の穴窯での作品で、黒あがりの出来です。
形状は加守田が好んだ、口縁を内側に抱え込ませる高麗形で、見込(内底)には、目立てが3つあり、この作品が伏せ焼きされたものとわかります。
古陶磁の雰囲気を狙った加守田の強いこだわりを感じるこの作品は、あまり類例がなく稀少です。
高台脇に釘彫サインがあります。


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加守田章二 | Shoji Kamoda

1933
大阪府岸和田市に生まれる
1952
京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学
1956
京都市立美術大学卒業。茨城日立に移り製陶所に勤務
1959
栃木県益子に移り制作を開始
1962
穴窯での灰釉作品の制作が始まる
1965
灰釉作品が注目される
1966
日本陶磁協会賞を受賞
1967
高村光太郎賞を受賞
1969
岩手県遠野に移り、その後作品は毎年変化していく
1970
[曲線彫文]を発表
1971
[彩色]を発表
1974
[陶板展](銀座 黒田陶苑)以後毎年出品
1979
東京東久留米に工房を移す
1983
逝去(享年49歳)


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三輪休和 萩焼酒呑

萩焼の人間国宝・三輪休和先生の最晩年のぐい呑です。

山口県萩市に代々続く三輪家の十代目に生まれ、三輪休雪として萩焼を一躍有名にした三輪休和先生。
名跡を弟に譲り、隠居後は休和と号し、陶心趣くままに作陶をされていました。
このぐい呑は、高台削りを廃した当時としては異例のものです。後継者の11代休雪がこの高台(糸切り高台)を継承したので、今では普通に見ることができますが、伝統ある萩焼では休和以前にはないもので、うつわの高台としては今でも他の萩焼名門では見ることはありません。
休和先生としては、高台を削ることで失われてしまう、土の柔らかさや温かみといった魅力を伝えたかったと思います。名門の当主としてはできなかった自在な想いを小さなぐい呑にこめたかったのでしょう。そういう意味で、この作品は魅力的です。
轆轤目を強調した茶碗を小さくしたような姿で、焼き上がりは休和らしく絶品です。
高台脇に「和」の彫サインがあります。
前のご所有者がこの作品を大切にされており、御物袋を作られているため、箱の嵩を黒柿材であげた仕様になっています。


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三輪休和 | Kyuwa Miwa

1896 
山口県萩市に生まれる
1910  
家業に従事し作陶を始める
1927  
十代三輪休雪を襲名
1942 
川喜田半泥子と交友する
1956  
山口県指定無形文化財に認定
1967  
家督を弟に譲り[三輪休和]を名乗る
1970  
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1977  
逝去(享年86歳)


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荒川豊藏 可羅つ盃

人間国宝・荒川豊藏先生の唐津風のぐい呑です。

昭和の陶芸巨匠の中でも際立って個性的で、その後の陶芸界への影響力がもっとも強かった陶芸家といえば、荒川豊藏先生に尽きると思います。
志野焼をその作陶の代表格として君臨した荒川豊藏は、恩師である北大路魯山人先生の教えもあり、陶芸を始め絵画・書・漆芸など様々な作品を展開しました。
この作品は、唐津と名付けていますが唐津焼ではなく、古い唐津焼の様式を取り入れたということで、唐津(可羅つ)としているものです。ちなみに、師である魯山人はこの鉄絵具で器物に絵を描く様式を「絵瀬戸」と言っていました。

荒川豊藏先生の唐津の作品には、実際に佐賀県唐津で制作されたものもありますが、この作品は、岐阜県多治見市の虎渓山の山中に構えた登り窯で作られた作品です。
荒川は、志野や黄瀬戸・瀬戸黒は、岐阜県可児市の大萱(おおがや)に構えた穴窯で制作しましたが、唐津や粉引、乾山風さらには染付や赤絵の磁器などは、虎渓山の登り窯で制作しました。

この作品は箱書きにある通り、虎渓山の登り窯で制作された作品です。
水墨画を意識して黒く発色させた鉄絵が印象的で、満月と飛ぶ鳥を描く「月に雁」の図は、もっとも荒川豊藏が好んだ図柄です。
良く焼けた赤土も魅力的です。

 


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荒川豊蔵 | Toyozo Arakawa

1894
岐阜県多治見に生まれる
1922
京都に移り、宮永東山窯の工場長を務める
北大路魯山人に出会う
1927
鎌倉に移り、魯山人の星岡窯に勤務
1933
星岡窯を辞し、美濃大萱牟田洞に移り作品制作を始める
1941
初個展(梅田阪急・黒田陶苑主催)
1946
多治見・虎渓山に食器製造目的の水月窯を創設
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1960
宗達下絵光悦筆[三十六歌仙和歌巻](重要文化財)を購入
1971
文化勲章を受章
1977
随筆集[縁に随う]刊行
1985
逝去(享年91歳)


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