濱田庄司 掛合釉丸紋花瓶のこと

 

濱田庄司 掛合釉丸紋花瓶のこと

 


濱田庄司(1894~1978) 掛合釉丸紋花瓶 
1974年 w29.8×h31.0㎝ 共箱

 

 

二種類の釉を二重掛けした掛合釉の高さ30センチを超える大作です。

濱田庄司先生の最晩年の作品で、壷の四方向に濱田先生のシンボルである「唐黍」と「笹」の文様を丸で囲んだ鉄絵が施されています。




濱田庄司 掛合釉丸紋花瓶 (反対面)


濱田庄司先生が「調子が良い」とし理想的な焼き上がりとした、艶消しのしっとりとした焼成加減(焼け具合)の仕上がりになっています。

落ち着いた釉表現の大きな器体に、健康的で力強い絵付けが躍動する逸品です。

 


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濱田庄司 三つの大きな鉢のこと

 

濱田庄司 三つの大きな鉢のこと

 

 
濱田庄司(1894~1978)
(右)青飴釉掛分白十字文大鉢 1970年代 w56.5×h14.5㎝ 共箱
(奥)掛分指描大鉢 1970年代 w58.0×h15.2㎝ 共箱

 

 

濱田庄司先生の作陶活動の後期を華麗に彩ったものは、間違いなく、大きな皿や鉢の作品群です。
私の経験では、直径が45センチを超える作品に、濱田先生は「大鉢」と名付けているようです。それよりも小さな作品には「大」と付けず、鉢・盛鉢・皿としています。

これらの大鉢は、最大では60センチを超えるものも扱ったことがありますが、それは深さ(高さ)が浅い(低い)作りのため必然に直径が大きくなり、実際に見る作品のサイズ感とすれば、これほどの大きな作品になると数センチの違いは無きに等しい。同じ迫力で圧倒させられます。

 



濱田庄司(1894~1978)
(左)青釉流掛大鉢 1970年代 w47.9×h12.5㎝ 共箱
(奥)掛分指描大鉢 1970年代 w58.0×h15.2㎝ 共箱

 



陶芸制作の過程で、胎土を成形後に窯で焼成する際には、一割程度収縮します。陶芸を体験しないとわからないと思いますが、思う以上に小さくなります。

これほどの大きな作品は、焼成前にはさらに一回り大きなものですので、濱田先生は大きな器体の画面に向かって、柄杓を振り回していたということになります。
アクションペインティングのごとく、まさに全身全霊を作品にぶつけて作品を仕上げていた。
濱田庄司先生が柄杓を使って釉薬を流し掛ける様子が目に浮かびます。

 

大きな建物の中の広いお座敷に三つの大きな鉢を並べさせていただく機会を得て、撮影させていただきました。
しかし、三脚を使って高いところから写しましたが、広角レンズの持ち合わせなく、これらの三つの大きな鉢を一枚の画像の中に入れることができず残念なことしてしまいました。

遠山記念館にて撮影 】


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濱田庄司 鉄繪流掛方壷のこと

 

濱田庄司 鉄繪流掛方壷のこと

 


濱田庄司(1894~1978) 鉄繪流掛方壷 
1970年頃 w17.5×h22.0㎝ 共箱

 

鉄絵具をひしゃく掛けして文様を描いた濱田庄司先生の晩年期を象徴する作品です。

四角い形状をした方壷は、型作りされたもので、上部・口辺部は六角形をしています。型作りを巧みに活かして、造形性を強調した作品になっています。

白釉の白地に鉄描の黒が映えて、現代的な作風を示した逸品になっています。

 

 

 

 


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桶谷 寧陶芸展が始まります

 

11月6日(土)から、曜変天目の第一人者として高名な桶谷 寧氏の陶芸作品展を開催いたします。
ぜひ、この機会にご高覧くださいますようご案内申しあげます。

展覧会の詳しい情報はこちらから⇒  桶谷 寧陶芸展

 


 

桶谷 寧 陶芸展

2021年11月6日(土)〜 11月11日(木)
午前11時~午後7時・月曜定休
会場:銀座 黒田陶苑アネックス

 

 


 

 


桶谷 寧 : 曜変天目茶碗 2020年作

 

 


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加藤唐九郎 黒ぐい呑み



加藤唐九郎のぐい呑は、稀少なゆえにコレクター垂涎の一品として、永くその地位に君臨している。

1980年前後に東京や名古屋のデパートで個展を開催した際に、顧客からの要望もあったためか、数十個単位で制作していたようである。
しかし、現在ではその時代に制作されたある程度数量が存在する志野ぐい呑でさえ、数年に一度、美術市場に現れるといった程度で、未だに稀少性を保っており、高値での取引は続いているのが現況といったところである。

この作品は、雅号を「一無斎」として制作活動を始めた頃に制作したぐい呑です。
瀬戸の黒釉を掛け、同じく瀬戸産の上質で細かい白土を用いられている。

茶碗をミニチュアにしたような半筒形のぐい呑で、轆轤目を強調した造形も唐九郎らしさを感じる愛すべき姿をしている。

全体的に黒釉を掛けているが、黒織部の意匠を狙ったため偶然なのか意図的なのか、白く残った間取りが、たなびく雲の向こうに見える富士山のようである。

高台は伝統の碁笥底高台に仕立てられ、一削りでスパッと削られた高台は美しく見事としかいえない。

高台に「一ム才」と箆刻みでサインが入れられています。
「一ム才」と彫り込まれているぐい呑は、ほとんど知られてなく、レアものとして所有する楽しみがあります。


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加藤唐九郎 | Kato Tokuro

1898 愛知県瀬戸市に生まれる
1914 製陶業を始める
1933 随筆「黄瀬戸」を刊行
1934 「陶器大辞典」を刊行
1935 名古屋市守山区翠松園に移る
1950 戦後初の個展「瀬戸黒茶わん展」開催(銀座 黒田陶苑)
1952 無形文化財有資格者に認定される
1953 「新作陶芸展]」を開催し、初めて黄瀬戸を発表 (銀座 黒田陶苑)
1954 桃里会に参加
1955 荒川豊蔵、石黒宗麿らと「日本工芸会」を結成
1960 永仁の壷事件起こる
1961 加藤一無斎を名乗る
1964 「東京オリンピック記念・加藤唐九郎陶芸展」を開催
1969 志野茶碗「鬼ケ島」完成
1972 原色陶器大辞典を刊行
1973 個展 「野の唐人‐唐九郎展」を開催
1982 最後の個展 「加藤唐九郎の世界展」を開催
1985 逝去(享年87歳)


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岡部嶺男 窯変米色瓷盃のこと

 

岡部嶺男 窯変米色瓷盃のこと

 


岡部嶺男(1919~1990) 窯変米色瓷盃  1977年 
岡部辰子代筆箱  w8.2×h5.8㎝

 

 岡部嶺男が青瓷を始めたのは、43歳といわれ、その7年後には、青瓷大砧が皇居宮殿の調度品になったというからいかに嶺男の才能が偉大であることが理解できます。
その後、青瓷は嶺男の代名詞になった窯変米色瓷へと進化します。

病に冒され右半身不随となって、結果的に岡嶺男の最終章を飾ったのが、この窯変米色瓷になりました。
茶色・緑色・青色・黄色など光や光の角度により7色にも変幻する美的な窯変米色瓷は、岡部嶺男の窯変芸術の究極の姿でありますが、嶺男先生がご病気療養中で新作が途切れていた当時、次なるモノは何かを期待していたことを思い出します。

 


窯変米色瓷盃(上面より)

 

 


作品が収まる桐箱の箱書き

この箱書きは、突然の病による後遺症で右半身不随となり、筆を持つことができなくなったことで、辰子夫人が代筆したもの。

この箱書きを拝見するたびに、硯を摺る辰子夫人を傍らに添い見つめる嶺男先生の姿を想像し思いを馳せる。

 

 


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石黒宗麿 赤絵盃

 

石黒宗麿先生が磁器を手掛けていたのは、京都洛北・八瀬で制作し始めた1940年頃のことで、染付や赤絵を施したものを限定的に残されています。

この作品は、中国・明時代の民窯で作られていた赤絵を意識して作られています。
鷹揚な絵付けや高台に砂を付けた砂高台など、あえて稚拙な作風で、明時代風を表現しています。
作品にサインは無く、箱書きは「赤絵盃 八瀬園 宗製」とあり、「宗麿」と篆刻のある角印が押されています。


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石黒宗麿 いしぐろむねまろ Munemaro Ishiguro

1893   富山県新湊に生まれる
1918   国宝・曜変天目茶碗を見て感動し、陶芸家を志す
1919   東京で陶芸制作を始める。その後各地に転居を繰り返す
1927   京都東山蛇ヶ谷に移る。盟友となる小山冨士夫を知る
1935   京都洛北八瀬に窯を築く
1937   パリ万国博覧会に出品し銀賞受賞
1941   [石黒宗麿作陶展観](銀座 黒田陶苑)
1955   重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
           荒川豊蔵、加藤唐九郎らと[日本工芸会]を結成
1963   紫綬褒章を受章
1968   逝去(享年75歳)


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