小山厚子さん新作の入荷と展覧会のご案内。

小山厚子さんの新作が入荷しました。

一番大きなもので長さ39cm。心が弾むような楽しいお皿です。

このほかに、備前焼の長皿なども店頭にてご覧いただけます。

来月、小山厚子さんのはじめての茶碗展を開催いたします。

「昭和な三十碗展」   会期 : 11月8日(土)~11月13日(木) ※10日(月)は定休日です。

昭和レトロ風でなお新しい感覚の茶碗が三十点。

新作のうつわ・酒器なども出品予定です。ぜひお越しください。

三浦小平二 青磁豆彩アフガン少女文ぐい呑

 

三浦小平二先生が晩年期に手がけられた青磁豆彩の大振りぐい呑です。

シルクロードをテーマにした、紅い民族衣装を着た「アフガン少女」の図を豆彩で描かれています。
少女が座って思いにふける図が印象的なぐい呑です。

 


 

三浦小平二 みうらこへいじ

1933 新潟県佐渡市生まれ
1955 東京藝術大学彫刻学科卒業
1976 日本伝統工芸展文部大臣賞受賞
1977 日本陶磁協会賞受賞
1990 東京藝術大学美術学部教授就任
1996 紫綬褒章を受章
1997 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
2006 逝去(享年73歳)

 


北大路魯山人 於里遍平鉢

 

わたくしども黒田陶苑と、もっとも縁の深い魯山人先生の最晩年期の作品です。

1955年に織部焼で人間国宝の指定を打診されるも、それを固辞した魯山人。魯山人は、作陶の初期から最晩年期まで、ライフワークのようにして織部を追求していました。
戦前は桃山時代の古織部を範とした優しく穏やかな作風でしたが、戦後はその織部の作風は激変しました。
それは、皿・鉢・壷・花入などの作品の全体を覆うように施釉し、全体を織部の緑色で魅せる力感籠る斬新な作風でした。

この魯山人の新手法は、その後の現代陶芸の潮流を形作ることになりました。現代の織部作家たちが、ありのままに表現している作品の全体を緑色の織部で覆う手法は、この魯山人作品に原初をみます。

魯山人の最晩年期に数少なく作られた名品中の名品と謂われた織部の角皿。

一尺もある大きな角皿で、表面にはザックリとしたシノギ目が付けられています。織部の発色は見事で、シノギのささくれ立ったところも見所で、魯山人の鬼気を感じます。

この作品は、それまでの織部焼の概念をことごとく、塗り替えた一品です。

 


 

北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)

 

北大路魯山人 志乃風ぐいのみ

 

北大路魯山人が、古典を模範にし、そのエッセンスを盛り込み作り込んだ酒器です。

桃山時代の志野四方猪口を魯山人ならではの視線でもって作りあげた逸品。繊細に伸びやかに描かれた草文は、力強くもあり儚げでもあり。魯山人の画力の凄さが伝わります。随所に表れた緋色がうつわを包み込み、作品の品格を高めています。高台は、土見せとしています。

 


 

北大路魯山人 | Kitaoji Rosanjin

1883
京都市北区上賀茂北大路町に生まれる
1907
東京で書家として活動を始めるが挫折し放浪
1916
挫折し、韓国・中国・滋賀・福井・金沢など放浪し京都へ戻る
1919
東京で美術骨董店を開業
1921
骨董店の顧客を対象に、自らの料理を供する「美食倶楽部」を始める
1923
美食倶楽部で使用する食器の外注制作を始める
1925
料亭「星岡茶寮」を経営
1928
星岡茶寮の食器を製作するための製陶所「星岡窯」を鎌倉に設ける
その後、百貨店や茶寮などで作品即売会を催し評判を呼ぶ
1935
陶芸創作に専念するようになる
1936
星岡茶寮の経営から離れる
1937
北大路魯山人新作展(弊社主催)
1939
この頃「星岡窯」は50名余が従事し活況を呈する
1942
戦時下、石川に疎開し漆芸作品などを制作
1954
ロックフェラー財団の招聘によりニューヨークなどで個展を開催
アメリカ・ヨーロッパなどを歴訪
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退
1956
東京・京都・名古屋などで盛んに個展を開催する
1959
逝去(享年77歳)

 

 

-特別展- 名残の茶

 

日ごとに秋の深まりを感じる頃になりました。
茶の湯の慣習では十月を一年が終わる暮れを意味し名残月といたします。新しい一年を迎えるにあたり、振り返り出来事などを惜しむ頃となります。

このどこか寂しい心持が、茶の湯道具への深い
愛情へと繋がり、傷んだうつわに繕いなどをして慈しむ心が「名残」の象徴として、古来より茶人に受け継がれてきました。

今回の展覧会では、過ぎ去りゆく秋を惜しみ、名残月の風情を表す茶の湯道具などを特集して展観いたします。

ご高覧いただけましたら幸いに存じます。