鈴木 治 シガラキ酒盃

鈴木 治先生の稀少な信楽ぐい呑です。
大振りで見応えがある逸品。

走泥社という京都を中心にした陶芸作家グループの主力メンバーで、京都芸術大学の教授を務めていた鈴木 治先生の酒盃です。
おさむというお名前でしたが、当時は「はるさん・はる先生」と呼ばれていました。

1990年代に滋賀県信楽の穴窯で制作した作品で、鈴木先生の酒盃としてはかなり大きなものです。主に信楽の穴窯では、「穴窯泥象」(あながまでいしょう)というオブジェ(立体作品)を作りました。一部、花器やうつわ、酒器などを限定的に制作。この作品はその中の稀少な1点です。
高台脇に釘彫サインがあります。

 


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鈴木 治 | Osamu Suzuki

1926
京都市東山に生まれる
1948
走泥社を結成し参加
1962
プラハ国際陶芸展で金賞を受賞
1979
京都市立芸術大学美術学部教授に就任
1984
日本陶磁協会賞金賞を受賞
1985
毎日芸術賞を受賞
1987
京都府文化賞を受賞
1992
京都市立芸術大学美術学部教授を退任
2001
逝去(享年75歳)


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松井康成 萃瓷練上盃

人間国宝・松井康成先生の最晩年の代表作・萃瓷練上のぐい呑です。

人間国宝に認定された翌年の1994年に作られたこの作品は、宝石やガラスのような色彩が鮮やかで、透明感のある輝きがあるのが特徴です。
この作品が発表された当時、初見で私も陶器とは思えないと思ったほどです。
萃瓷の連作は花をイメージしたものに特化されており、この酒盃も黄色い花が咲き乱れているような印象があります。
大振りに作られているのもこの時期の特徴です。松井先生の最晩年期は、病いとの闘いの日々でもあり、残されている作品は限定的です。
高台内に「康」の釘彫サインがあります。


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松井康成 | Kosei Matsui  

1927  
長野県北佐久郡に生まれる
1960 
茨城笠間において窯を作り古陶磁の研究を始める
1967  
田村耕一に師事
[練上]の技法を始める
1971 
日本伝統工芸展工芸会総裁賞受賞
1973  
現代工芸の鳥撤展に招待出品(京都国立近代美術館)
1975 
[練上嘯裂]を始める
1978
[象裂瓷]を始める
1981 
[練上茜手]を始める
1983 
[堆瓷]を始める
1985 
[破調練上]を始める
1987 
[練上風白地]を始める
1988  
紫綬褒章を受章
1989 
[晴白練上]を始める
1992  
萃瓷練上を始める
個展[練上陶筥展](銀座 黒田陶苑)
1993  
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
2003  
逝去(享年77歳)


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濱田庄司 地釉縁黒胴紐盃

世界の濱田と言われて久しい、濱田庄司先生のぐい呑です。

その名声どおり、その名は広く海外に知れ渡っています。国内では、陶芸の父され愛着と尊敬の念をもって呼ばれています。
この作品の箱書きには、書き付けるスペースが無いため「盃」とだけ書かれていますが、作品名とすると「地釉縁黒胴紐盃」となることでしょう。
地釉(じぐすり)は濱田がもっとも多用した釉薬でグレー色とわずかに現れる梅華皮(かいらぎ)が特徴です。縁黒(ふちくろ)とは、濱田が唐津焼の皮鯨(かわくじら)文様からヒントを得て多用したデザインです。さらに、胴紐(どうひも)は読んで字の如く、胴部を紐を巻いたように一段高く成形するもので、濱田は好んで茶碗や湯呑、ぐい呑に多用していました。
つまりこのぐい呑は、濱田づくしと言ってよいほど、濱田庄司の特徴を盛り込んだ作品になっています。見込(内側)には、ほのかな紅みがさしていて優しさもある。
ドメスティックなイメージのある濱田ですが、これは上品で上質の雰囲気があり、高級感も漂わせています。箱書きや作風から、1970年代の作品と推察されます。
生まれ育ちが良く成績優秀で、人格優れ頼もしい「陶芸の父」らしい作品です。


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濱田庄司 | Shoji Hamada

1894
神奈川県川崎市に生まれる
1916
東京高等工業学校窯業科卒業
京都市陶磁器試験場へ入所
1920
バーナードリーチの誘いで渡英
1924
帰国後、沖縄・京都などに滞在する
1926
柳宗悦・河井寛次郎らと民芸運動を起こす
1931
栃木県益子の住居に登窯を築く
1942
古民家を移築し、陶房兼住居とする
1955
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1968
文化勲章を受章
1978
逝去(享年84歳)


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金重素山 伊部愚意呑

備前焼の人間国宝の金重陶陽を兄に持ち、備前焼の巨匠として君臨していた金重素山。電気窯を使って備前焼を作るなど伝統を打ち破る革新的な活動をした作家でもありました。

この作品は、金重素山の最晩年に制作された酒器です。重厚な窯変の焼き上がりは、素山の特徴を表しており、とても良い出来上がりです。

作品名の伊部とは、いんべと読み、素山が晩年に工房を構えた備前市伊部の地名からとったものであり、かつ古来から特別な呼び名としてあった「伊部焼」を意識したものです。
愚意呑とは、ぐいのみと読み、晩年に出来上がりの良い酒器にこの名をつけていました。

他には見かけることがない、大振りで焼上がりも良く、素山備前の魅力が満載されたぐい呑です。
高台内に手印サインがあります。


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金重素山 | Sozan Kaneshige

1909  
岡山県備前市に生まれる
1927  
家業に従事し作陶を始める
1951 
京都亀岡に移る
1953  
亀岡で粉引・錬込等の作品を制作
1964  
岡山市円山に移り、登窯[円山窯]を築窯
1966 
電気窯による備前緋襷が完成
1983  
岡山県指定重要無形文化財保持者に認定
伊部に築いた[午神下窯]の初窯を焚く
1991
勲四等旭日小綬章を授章
1995
逝去(享年86歳)


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鈴木伸治 個展



 
このたび黒田陶苑では、鈴木伸治さんの個展を開催いたします。
2019年より自らの手で、しかも既成のレンガではなく、手練りの土団子を積み上げて作った穴窯が昨年末に完成し、このたびその穴窯で作品の焼成が行われました。
今回の個展では、その穴窯で焼成された作品を中心に展観いたします。
原始的な窯で鈴木さんの力量が発揮されています。
ぜひご高覧ください。

 


 

 


穴窯志野茶碗(右) 穴窯引出し瀬戸黒茶碗(左)

 


 

一昨年より進めておりました土塊で作った穴窯が完成し、初窯を焚きました。
一窯焚いて、数個良いものが取れれば。
これからです。        鈴木伸治

 


 


穴窯窯変志野茶碗

 




鈴木伸治 Shinji Suzuki

1976 岐阜県岐阜市生まれ
2000 多治見市陶磁器意匠研究所卒業
2001 多治見市に工房を作り、制作を始める
2007 第1回個展(銀座 黒田陶苑)以降、毎年開催
2020 土塊を積み上げた穴窯を増設

 


 
【銀座 黒田陶苑アネックス】
 
TEL.03-3571-3223
11:00-19:00 毎週月曜日・定休
 
 
GINZA SIXの真裏・「銀座三原通り」に面する銀緑館2階
 
 
 

三輪休和 萩焼酒呑

萩焼の人間国宝・三輪休和先生の最晩年のぐい呑です。

山口県萩市に代々続く三輪家の十代目に生まれ、三輪休雪として萩焼を一躍有名にした三輪休和先生。
名跡を弟に譲り、隠居後は休和と号し、陶心趣くままに作陶をされていました。
このぐい呑は、高台削りを廃した当時としては異例のものです。後継者の11代休雪がこの高台(糸切り高台)を継承したので、今では普通に見ることができますが、伝統ある萩焼では休和以前にはないもので、うつわの高台としては今でも他の萩焼名門では見ることはありません。
休和先生としては、高台を削ることで失われてしまう、土の柔らかさや温かみといった魅力を伝えたかったと思います。名門の当主としてはできなかった自在な想いを小さなぐい呑にこめたかったのでしょう。そういう意味で、この作品は魅力的です。
深い筒形で姿よく、焼き上がりは休和らしく絶品です。
高台脇に「和」の彫サインがあります。紐無しの共箱に入っております。


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三輪休和 | Kyuwa Miwa

1896 
山口県萩市に生まれる
1910  
家業に従事し作陶を始める
1927  
十代三輪休雪を襲名
1942 
川喜田半泥子と交友する
1956  
山口県指定無形文化財に認定
1967  
家督を弟に譲り[三輪休和]を名乗る
1970  
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1977  
逝去(享年86歳)


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中里無庵 斑唐津ぐい呑

唐津焼の人間国宝・中里無庵先生の12代太郎衛門時代のぐい呑です。

古唐津の研究にその一生を捧げたといって過言ではなく、唐津焼を復興した人物でもあります。廃れていた古唐津の技法を研究し実践再現するなど、その功績は偉大です。
作風や箱書きを拝見すると、このぐい呑は中里無庵を襲名する直前の時期に制作されたものと推察できます。1960年代後期なので今から50年前の作品です。
稲藁の灰を使ったやや青味を帯びた白濁釉だけを施した斑唐津で、無庵らしい透明感のある白タイプの斑唐津に仕上がっています。
形状は口縁を玉縁にした筒形で実用に最適で、この美しい見込みを覗きながら清酒をいただく人が羨ましい思いです。
高台はしっかりと削られていて上質な出来映えで、縮緬皺も見事な作品です。
高台内に「タ」の釘彫サインがあります。


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中里無庵 | Muan Nakazato

1895
佐賀県唐津市に生まれる
1914
佐賀県立有田工業高校卒業
1927
12代中里太郎右衛門を襲名
1929
唐津古窯の調査を始める
1966
紫綬褒章受章
1969
隠居・得度し中里無庵を名乗る
13代に家督を譲る
1976
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1985
逝去(享年89歳)


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