石黒宗麿 刷毛目茶碗

 

石黒宗麿 刷毛目茶碗のこと

芸術性豊かな才能を多方面に示し、自由自在な作風を展開した石黒宗麿先生。
鉄釉陶器の高い技術によって人間国宝に認められていますが、多岐にわたる作風により、石黒宗麿の代表作を一点挙げるのは困難といえます。鈞窯・磁州窯・越州窯・宋赤絵・唐白瓷・三彩・藍彩など中国古陶磁、刷毛目・粉引・鉄絵などの李朝陶、時に志野や黒織部まで石黒宗麿の好奇心は尽きることがありませんでした。
京都という土地柄、そして戦後の茶道の隆盛期という時代背景もあり、茶碗の数が多いことで知られている石黒ですが、その茶碗も実に肩の力を抜いた作品が多く、鑑賞するものにとっては物足りない要素が多く、実用性を喜ぶしかない作品が少なくありません。
石黒の茶碗は行間を読まなければ理解できないとお客さまに説明することがよくありますが、意外に作者は気儘に作っていたのかもしれません。
特に晩年に多く作られた鉄絵を施した唐津風の茶碗は、そよ風のように軽やかにまるで散歩をするがごときの成り行きまかせの轆轤わざは、石黒フリークの心をつかんで離しません。
それに対して、この作品は石黒がまだ若い40歳ころの作品で、それまで中国古陶一辺倒だった石黒が、倉敷紡績の大原孫三郎の知遇を得たことなどにより李朝陶に初めて接し、それまでにない感銘を受け、苦心して倣作した刷毛目茶碗です。
肩肘張ってはいるものの、こだわって砂高台にするなど、モノに対する真摯なまなざしを感じる実にしっかりとした美意識の高い茶碗で、石黒の心根に存在する図太い精神性を感じる一品です。
この時期の石黒作品は特に少ないゆえに、回顧展に紹介されることがなく歴史に埋もれがちですが、石黒の初期を代表する茶碗のひとつです。
高台脇に印サインがあり、格調高い書風で認められた共箱に入っています。


※ 価格等、この作品について詳しい情報をお知りになりたい方は、メールでお願いいたします。
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【 作品番号 : 576 ]


石黒宗麿 いしぐろむねまろ Munemaro Ishiguro

1893   富山県新湊に生まれる
1918   国宝・曜変天目茶碗を見て感動し、陶芸家を志す
1919   東京で陶芸制作を始める。その後各地に転居を繰り返す
1927   京都東山蛇ヶ谷に移る。盟友となる小山冨士夫を知る
1935   京都洛北八瀬に窯を築く
1937   パリ万国博覧会に出品し銀賞受賞
1941   [石黒宗麿作陶展観](銀座 黒田陶苑)
1955   重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
           荒川豊蔵、加藤唐九郎らと[日本工芸会]を結成
1963   紫綬褒章を受章
1968   逝去(享年75歳)


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川喜田半泥子 錦絵「お竹大日」

 

昭和8年(1933年)に制作された作品で、川喜田半泥子が原画を描き、それを木版にした版画「錦絵」です。
この錦絵は、裏面に「大傳馬町川喜田木綿店 開店三百年記念 錦絵 三百枚之内 第二百四十五号」とあり、半泥子生家の家業であった繊維問屋の創業300年を記念して作られたものです。

画面左下には、「昭和八年七月 紺野浦二」と、その下に菱形囲いに「久」の印があります。
紺野浦二(こんの うらじ)は、ペンネームで、「紺の裏地」の洒落で名付けたものです。「久」は家督「久太夫政令」の頭文字。

画面右上に「大傳馬町一丁目 お竹大日」と題名されています。
お竹大日は、江戸時代に東京日本橋大伝馬町に実在した「お竹さん」という美人・聡明で働き者の女性でしたが、のちに大日如来の化身として崇められるようになり、「於竹大日如来」信仰として現在まで伝わっています。大傳馬町に川喜田木綿店があったことから、半泥子はこの題材を選んだと推測いたします。

当時、300点摺られた錦絵ですが、現存する数はかなり限定的で稀少です。また、残存する作品の中でも、状態の良いものは多くありません。
この作品は、奇跡的に色彩や紙が良い状態で残されています。
額の外寸サイズは、幅31.6×縦51.1㎝になっています。

 



下女お竹の事

下女お竹は、寛永の頃、江戸大傳馬町佐久間某・・、一説に馬込某・・の家に使われて居た者です。
日常の行ひが正しく、殊に陰徳を積む事が多くて、お米をといだり、菜葉を切っても少しの捨てたりないようにと、流シ場の水のハケくちに、袋をつけておきまして、之れに残ったとぎ流れのお米や、野菜は自分が頂いて、自分に貰う御飯や、お菜は、貧しい人達に施していたそうです。
すると或る時、此家へ、羽後羽黒山の行者が、訪ねて来て、「私は羽黒山の修行者ですが、何卒現身の大日如来をおがまして頂きたい、と願を掛けますと、江戸大傳馬町佐久間の下女お竹を、おがめと、夢のお告がありました。お宅にお竹さんといふ女中さんがいらっしゃるなら、おがまして頂きたい」といひました。
之を聞いて佐久間夫婦は不思議に思ひましたが、「如何にもお竹といふ、大層心掛のイイ女中が居ます。左様の事ならば呼んでまいりましょう」と臺所に行って見升と、お竹の身体から、金色の御光がさして居て、彼是するうちに、紫の雲に乗って天上しましたといふ、傳説があり升。
現に芝の心光院といって、俗に赤門寺といふお寺には、お竹の木像だの、お竹の使った流シ板だの、お竹大日如来に信仰の厚かった徳川大奥の桂昌院が納められた、立派な蒔繪の手文庫などがあり升。
此傳説の真偽の程は分りかねますが、私の木綿店が、此大傳馬町で、矢張お竹さんと同時代の、寛永年間から永續しまして、今年三百年になりましたので、記念の為に大傳馬史といったよふなものを書いて見ました折ですから、此「傳説のお竹さん」に、敬意を表しまして、例の私の道樂気から、生れて初めて、錦繪といふものを描いて見たのです。
しろうとの、殊に初めての試みで、どんなものが出来るかと思ひましたが、幸ひ落合直成さんの御紹介で、渡邊庄三郎さんに、商賣気離れてのお骨折を掛けたものですから、これでも私自身としては、思ったよりイイものが出来たと、嬉しくて仕様がないので、御懇意の方々に、おしつけてお納めをお願ひするのです。 

昭和九年  初春 
半泥子こと   紺野浦二

(原文ママ)


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川喜田半泥子  |  Kawakita Handeishi

1878   大阪市で生まれる (本名・善太郎)
1979   家督相続し、16代川喜田久太夫政令を襲名
1903   百五銀行取締役に就任
1910   三重県議会議員に選出
1912   趣味として作陶をはじめる
1919   百五銀行頭取に就任
1925   三重県津市千歳山に窯を築き、作陶を本格化させる
1934   工房を「泥仏堂」と名付け、号としても用いる
1942   からひね会を発足し金重陶陽・三輪休和・荒川豊蔵らを指導
1946   千歳山から津市廣永に移り、製陶所「広永陶苑」を創設
1957   傘壽記念半泥子翁八十賀百碗譜を刊行
1963   逝去(享年84歳)


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棟方志功 版木額

板画家・棟方志功(1903-1975)先生の木板画「女人の柵」の版木を額装したものです。
版木の裏面に署名と制作年が直筆で書かれている貴重な作品です。
額の外寸サイズは、幅22.7×縦28.5㎝になっています。


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棟方志功 Munakata Shiko

1903  青森県青森市に生まれる
1924  洋画家を志し上京する
1928  油絵で帝展入選
     この頃より木版画を始める
1936  柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司らと知遇を得る
1938  新文展に版画を出品し特選となる
1939    「二菩薩釈迦十大弟子」を発表
1942     版画を「板画」に改める
1957   鎌倉にアトリエ「雑華山房」を構える
1959     渡米。各地で作品発表や講義を行う
1961     京都・法輪寺から「法橋位」を叙位
1962     富山・日石寺から「法眼位」を叙位
1963     藍綬褒章を受章
1965     紺綬褒章を受章
1970     文化勲章を受勲
      文化功労者に顕彰
1974     棟方志昂に一時改名するが再び志功に戻す
1975     逝去(享年72歳)


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鈴木大弓さんの個展が始まります

 

9月18日(土)から鈴木大弓さんの個展が始まります。

李朝陶器に憧れて作陶を始めた鈴木さんの李朝風の三島の作品は本格的で、昭和の時代ならば名人として崇められたのではと思うほどの出来栄えを見せています。

今回は、李朝陶を始め、信楽や伊賀、志野などの新作を含めて、450点を超える作品が会場に並びます。
ぜひ、この機会にご高覧くださいますようご案内申しあげます。

 



 

 

 


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北大路魯山人 青瓷印のこと

 

北大路魯山人 青瓷印のこと

 

 


北大路魯山人(1883~1959) 青瓷双魚飾 磁印「薄酒孤吟」
松永耳庵旧蔵 w3.3×h3.7㎝ 黒田陶々庵箱 

 

 

北大路魯山人先生は書家としても天才的な才能を有し、篆刻の技術にも秀でていました。

魯山人の篆刻といえば、木板に鑿でザクザクと文字を彫り込んだ濡額が有名で、回顧展となれば、必ず登場いたします。

篆刻印は、ほとんど目にする機会がなく、市場に出廻ることがない稀少なものです。
魯山人が書家の時代に石や木の材で作ったものは、日本画家の竹内栖鳳が気に入り愛用したことで知られています。

魯山人先生が作陶を始めてからは、染付や色絵など磁製の印を作り始めました。

この磁印は青瓷で作られ、天面には二尾の魚が向かい合わせに彫られ飾りになっ
ています。
側面には魯山人の彫りサインが入れられています。

 

「松永耳庵遺愛品拾遺」にもこの磁印が所載されていることから、耳庵旧蔵の貴重品であることが分ります。


魯山人が手の上で、多くの時を使って手捻り手彫りし作り出した一品です。

 

 


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加守田章二 炻鉢のこと

 

加守田章二 炻鉢のこと

 

 


加守田章二(1933~1983) 炻鉢
1968年 w27.9×h3.0㎝ 共箱

 

 

 

「私は陶器は大好きです。しかし、私の仕事は陶器の本道から完全にはずれています。私の仕事は陶器を作るのではなく、陶器を利用しているのです。私の作品は外見は陶器の形をしていますが中身は別のものです。これが私の仕事の方向であり、また私の個人の陶芸に対する作家観です。」

陶芸界の鬼才と呼ばれ日本の戦後の現代陶芸の主役として海外でも高く評価される加守田章二先生。
大阪岸和田に生まれ、49歳で早逝した加守田は、京都市立美術大学で陶芸を専攻し、卒業後に茨城日立の製陶所勤務を経て、26歳の時、栃木益子に移る。
民藝運動の主軸であった巨匠・濱田庄司が拠点とする1960年代の益子は陶芸の聖地として注目を浴び、多くの陶芸家が凌ぎを削る地になっていた。
若き加守田はその地・益子を選び、陶芸家として制作活動を始めたのである。

益子での制作の当初は、濱田を始め多くの陶芸家が使っている地元の釉薬・陶土・登窯を用いた益子焼風のうつわ作品を手掛けていたが、数年後には穴窯で焼成した中世の灰釉陶器に感化された作品を作り始めた。
その加守田の灰釉作品は公募展で受賞を重ね高い評価を得るようになり、1967年には当時の彫刻・造形美術の最高賞と言われた「高村光太郎賞」を受賞することになったのである。
その受賞によって加守田の存在は注目され自宅工房への来訪者が行列するほどに益子での生活は一変し、その喧騒を疎ましく思った加守田は工房の移転を考えるようになり、1969年に岩手遠野に制作拠点を移し、約10年の間、妻子を益子に残し遠野で制作活動をしていたのである。

この作品は、加守田章二先生が灰釉作品の次に手掛けた焼き締め作品で、作品名の「炻」とは、焼き締めの意味を持つ。
岩手遠野の土を用い益子の工房で轆轤成形して作られたエッジの際立った鉢で、象嵌や釉彩、線刻など一見見過ごしそうなディテールが美的な作品である。
ガサガサとした表面の感触は、実用的な陶器の本道から外れているが、土という素材の造形美を器の形を纏って表現した加守田の一品である。

 

 


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持田象二 個展


 
このたび銀座 黒田陶苑では、持田象二さんの個展を開催いたします。
持田さんは、東京藝大の大学院に在籍している学生陶芸家です。
もともとデザインやイラストに興味があり知識を深めるならばと芸術の最高学府を目指し、五浪して入学した持田さんは1年生を終える頃には陶芸の魅力に心動かされ、2年になって陶磁器の教室に入り特訓、ついには陶芸家への志しを抱くようになりました。
大学院に進んだ現在、藝大取手キャンパスで自主研究・制作の日々を送っています。
今回の展観では、取手での作品に鎌倉の自工房で制作したものを加えて、うつわやオブジェ約300点の新作を発表いたします。
ぜひ、初個展をご高覧くださいますようご案内申しあげます。

 


 

 

 


Figure h19 ㎝

 

 

 


 

 



(上)黄釉鉄彩角皿 w16×d14.3×h2.5㎝
(下)黄釉鉄彩平小鉢 w14.5×h3.5㎝

 

 


 



持田象二 Mochida Shoji

1993 埼玉県ときがわ町生まれ
2021 東京藝術大学美術学部工芸科陶芸講座 卒業
    同大学 大学院美術研究科陶芸専攻 在学中
          初個展(銀座 黒田陶苑)

 

 


 
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