平櫛田中 福聚大黒天尊像

 

 

平櫛田中 福聚大黒天尊像のこと

 

この作品が収められている箱に次のように墨書されています。

このつちはたからうちだすつちならで
のらくらもののあたまうつうち
              以上大黒さんのおことば也
      諸人堅可守之

「この槌は宝を打ち出す槌ではなく、愚者の頭を打つ槌」

以上、大黒さんのお言葉なり。もろびと、堅くこれを守るべし。」

 

107歳でその生涯を終えた彫刻界の巨匠・平櫛田中は、1872年岡山に生まれ、大阪を経て上京し、岡倉天心に師事。戦中に東京美術学校の教授となり後進を指導。戦後、実力と功績が高く評価され1962年に文化勲章を受章しました。

平櫛田中の木彫に彩色を施す作風は当時、革新的であり、国立劇場に収蔵される「鏡獅子」(1958年)は、その集大成といわれています。

晩年期に平櫛田中は、木彫彩色の大黒天尊像を数多く制作し、結果的に平櫛の代表的な作品に挙げられるようになりました。

この作品は、97歳の時に制作されたもので、木彫・彩色ともに高高度に熟成された完成度を見せています。白いお顔もある大黒さまですが、この作品は紅顔になっており、いかにも福々しく豊かな表情が麗しく、身近に飾って商売繁盛の縁起の良いものになることでしょう。

上質な二重箱に入れられて、とても良い状態で保管されて、50年前と同等で美しい彩色が温存されている一品です。

 


 

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山田 大 個展 -葡萄色-

 

 

今回、葡萄色(えびいろ)の志野茶碗が窯から出てまいりました。
越前の土を使った作品も手掛けました。     
                                                                                   山田 大

 


 

 

 



葡萄志野茶碗

 

 


酒盃 4種



 


 

 

山田 大 Hiroshi yamada

 1979  福井県越前町生まれ
     父は、陶芸家・山田和
2002  大阪芸大卒業後、父に師事
2006  独自の穴窯を築く
2009  第一回個展(銀座 黒田陶苑)
2010  新世代陶芸家展に参加
2014  穴窯を増設
2017  第八回個展(銀座 黒田陶苑)

 

 


 

 

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天才・加守田章二

 

「手法とか技術は古臭くても、自分の狙っているものを伝統的なものの上にたって新しく追求していきたい。新しい時代に手で作る伝統的な焼物、これがぼくの仕事です」
加守田章二が、古代の須恵器や平安時代の猿投・常滑・渥美の灰釉壺に強い興味を持ち、創作の礎にしていたのは、栃木益子で陶芸家としてスタートして間もなく、生家・大阪岸和田近くに散在する須恵器の窯跡で拾った陶片を見つけたことであった。須恵器や灰釉陶に見る張り詰めた緊張感にあふれるシャープで厳しい造形、しっかりと還元焔で高温焼成された灰釉の美に、若き加守田は魅了され、中世の窯や焼成技術を取り入れた制作手法を確立することになったのである。
制作の拠点とし工房を置いた益子で試行錯誤を繰り返し、中世の穴窯を研究していた加守田であったが、益子で得られる陶土にもの足りなさを感じるようになり、新たな陶土を探すことになった。ある時、旅先で出会った遠野の土を気に入り、遠野の環境にも魅力を感じて、工房を遠野へ移すことにしたのであった。
加守田章二が、栃木・益子から岩手・遠野に制作拠点を移そうとする直前、益子に遠野の土を持ち帰り、その土の可能性を探るべくそれまでの作風とは趣きを異にした斬新な作品を制作していた。「炻器」「酸化文」と名付けられたそれらの作品は、古代土器を思わせる質感を持ちつつ、力強い造形表現に優れており、のちにその作品群が評価され高村光太郎賞受賞につながったのである。
この作品は見立ての茶入で、本体は彩色土器を思わせる小さな壺である。遠野土を用い轆轤成形で制作され、焼成すると赤く発色する黄土を器面全体に、激しく塗り付けるように彩色しており、加守田の新しい時代に向けた創作への気迫を見ることができる。
遠野土のザラザラとした独特の質感・石かみのある荒れた地肌の趣き、エッジの効いたシャープな口作り、赤黒の色彩コントラストなど、天才・加守田章二の研ぎ澄まされた優れた感性が凝縮した一品です。

 

辻 晋堂先生のこと


辻 晋堂 : 陶彫「西行」 1975年制作

 

彫刻家・辻 晉堂-その活動は現代陶芸に大きな影響を与えました-

1910(明治43)年に鳥取県伯耆町で生まれた辻晉堂は21歳の時、油絵を学ぶため上京。独立美術研究所で絵画を学びながら独学で彫刻を始めた。立体造形の才能を発揮し、23歳の時、日本美術院展に出品した写実を極めた木彫作品が入選。25歳で異例の速さで院友に推挙され、木彫・彫刻家として確固たる地位を築いて活動を続け、その後、日本美術院が平櫛田中の古稀記念の肖像制作を企画した際には、30歳の若い辻晉堂にその制作を一任されるほどに実力もつけていた。

戦後、1949(昭和24)年に京都市立美術大学の教授に就任した以降、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、作品が劇的に変化した。1953年に盟友となる八木一夫と出会い、八木から陶芸手法を得て、さらに京都美大が京都東山の蛇ヶ谷という京焼・清水焼を生産する窯業地に隣接していたことで、陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」の作風に転換した。

八木一夫はそれまで、轆轤で作った壺や花入などの規定の器物に、海外の著名な画家が描く絵画をデザインにした絵付けを施す作風だったものが、辻と出会ったことにより、手びねりを多用する抽象造形の辻スタイルの作風に激変し、八木の初期の代表作といわれる「ザムザ氏の散歩」(1954年)が生まれたのであった。

のちに辻と八木は、同じ京都美大の教授仲間として、お互いを触発する仲となり、彫刻家と陶芸家のその違う立ち位置のなかで同じ方向を向き、8歳上の辻に八木は敬意を表しつつ、切磋琢磨し続けていった。

陶芸による造形作家集団の走泥社を率いた八木一夫は、辻晉堂スタイル「手びねりによる抽象造形」を推し進め、結果的に、戦後の現代陶芸に新しいジャンルを作り、革新をもたらすことになりました。現在でもその系譜は連綿と続き、未来へと引き継がれてゆくことになるでしょう。

 

-旅の途中、富士を眺めて一服-

この陶彫「西行」は、辻晉堂66歳の作品で、この年、辻は京都美大を定年退官しています。富士見西行を題材にした作品は数少なく、28歳で得度出家した自らを西行法師の生きざまと重ね合わせ、作品にしたかのように思われます。

 

 

小出尚永さんの個展がオープン

 

 

小出尚永さんの個展が始まりました。

備前焼の本質的な美を追求したいと、団体・グループに所属せず、独立独歩のスタイルを貫く姿が清く正しいというファンが多く集う小出さんの個展の会場は、備前焼の未来を見ています。備前焼にご興味あるかたには、ぜひご覧いただきたい展観になっています。
展覧会は、7日(木)まで。なお、月曜日は定休日になりますので、あらかじめご了承くださいませ。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

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加守田章二 彩色盃のこと

 

1970年代初頭。
大阪万博の開催によりカラー写真が広く普及、札幌オリンピック開催が契機となり、お茶の間の「白黒」テレビがカラーTVになっていった。1970年代初頭は、人々の暮らしの日常がモノクロからカラーへ大きく移行した時代でした。
加守田章二が、それまでのモノトーン・無彩色の作品から突然、赤や緑の彩色を使ったカラフルな作品を発表し始めるのは、時代背景も大きく影響していた。
1972年(昭和47年)は、加守田章二が39歳の時。
この頃の加守田は、彩色・図案・形状が多様に変遷しており、作品はさまざまに変化して創意・創作意欲がもっとも充実していた時期にあたります。
翌年後半に赤や緑の彩色が消え失せるまでの1971年から73年前半までの加守田の900日は、まさにカラーの時代でした。
この作品は、1972年に岩手・遠野の工房で制作された個展では未発表の作品で、今まで知られていなかった作品です。
当時、工房を構えていた岩手県遠野に産する粗い胎土を用い、赤・緑・黒の三色の彩色で不定形な斜文様を施し、白い点々文様が印象的である。形状は、高台部より全体的に丸みをおびて口辺内側にわずかに入り込む、加守田がもっとも好んだ姿をしています。
特筆すべきは、この作品のサイズが格別に大きいことにあり、加守田の酒器のなかでは最大級を誇ります。
加守田のこの時代の酒器の希少性については加守田ファンだけが知る事実。
この新発見の盃の存在は、誰も知らなかったとは言い過ぎかもしれませんが、コレクター垂涎の一品であることに違いはありません。
特別な人が特別な時に特別な人と使う特別な一品です。

 

小出尚永 個展 -第四回‐

 

 

四回目となった小出尚永さんの個展ですが、今まで以上に作品は迫力を増し重厚でどっしりとした風格で、なんとも男っぽい。
四耳壺は、もはや古臭いものであるが、彼が魂を燃焼させて焼き上げるそれは、時代や流行をとやかく言うことすら無意味に思える、しっかりとした「モノ」としての良さがある。
小出さんの作品群を鳥瞰するとき、備前焼は良いものであると思い知らされます。

                                                    黒田佳雄

 

 


 

 

 

備前鎬壺

 


 

 

小出尚永 こいでなおえ

1978  兵庫県尼崎市生まれ
1997  陶芸家・原田拾六の弟子になる
2011  独立する
          備前牛窓に工房を建てる
2013  初窯を焚く
2014  初個展をひらく
2017   四回目の個展をひらく

 

 


 

 

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